エネルギーと社会

現代は化石燃料社会です。現代社会は、化石燃料を大量に消費しています。しかし太陽から地球に降り注ぐ太陽エネルギーの量は、全人類が消費する化石燃料の一万倍のペースで降り注ぎます。これが少ないと言えば罰が当たるでしょう。
 だから全世界に降り注ぐ太陽エネルギーを集めて、加工して大都会に、東京に、ニューヨークに、北京に送れば良いのだなって? ちょっと待って下さいね。

エネルギー源が変わると社会が大きく変わる

エネルギー源が変われば社会は大きく変わります。再生可能エネルギーを主たるエネルギー源にするならば、やはり社会が変わるでしょう。再エネを現代社会にそのまま導入するというのは、決してうまく行かない話です。未来の為に現代の常識を捨てなければいけません。
 産業革命以来人類は化石燃料を大量に使う社会を築いてきました。日本においては特にそれが顕著でした。最初は石炭、そして次に石油と電気。電気は大部分が火力発電です。そしてエネルギーは大きく社会を変えてきました。石炭は19世紀社会を造りました。石油と電気は20世紀社会を造りました。そして19世紀社会と20世紀社会では町の姿が全く変わりました。町や村、そして道の姿がどう変わったかを考えれば、使うエネルギーを最大限利用した姿になったのだということがわかるでしょう。

21世紀は主たるエネルギー源が徐々に太陽となる世紀です。太陽起源の再生可能エネルギーがエネルギー源となるからです。
 我々は石炭が大きく町を変え、石油と電気が大きく社会を変えてきたのを知っています。石炭はそれまで使われてきた薪と違って大量に掘れる。石油は石炭と違って液体である。これだけの違いで、これら資源は大きく社会を変えたのです。そして大量の固体燃料、大量の液体燃料を再生可能エネルギーから作り出すには、莫大な再生可能エネルギーが必要です。
 太陽エネルギーは地球に広く分散します。本質的に集中する化石燃料と全く異なる性格を持つ再生可能エネルギーが、ほとんど町の姿を変えず、そのまま石油などの代わりをしてくれると期待するのは、あまりにも想像力が無いと言えるのではないでしょうか? 歴史を直線的な進歩だけで捉える単純化は止めませんか? その単純化がが日本の失われた30年の元凶かも。

淀川の桜

東京一極集中は終焉する

再生可能エネルギー社会を築く為にまず第一に考えなければならないことは、日本では東京一極集中の終焉です。何故なら東京一極集中は、集中してエネルギーを提供する化石燃料が造った、持続が難しい社会構造だからです。太陽エネルギーは地球全体に降り注ぎます。集中させるのは難しく、無駄が多いことは直感的にわかるでしょう。事実産業革命前の都会は、全世界で見てもせいぜい100万人弱の規模でした。もちろん様々な要因があるので、未来にすべての都市が100万人程度にまで小さくなるとは言えません。しかし一千万都市東京の周りに、また人口数百万数十万の都市がそれを囲んでひしめき合っている構造は、どうやって再生可能エネルギーで支えることが出来るか、ちょっと今の常識を離れて、デカルトの言う万人に平等に与えられたはずの「良い感覚」から考えると、「無理なしがみつきは止めようや」となることは直感的に明らかと思いますがね。
 今でも東京を遥か離れた福島や新潟などに原発を置き、また大規模火力発電所を置いています。それを代替するソーラーパネルや、大規模洋上風力発電所を置くなら、やはり東京では手狭で、東京から遥か離れた広大な地に、広く分散する再生可能エネルギーを集中させるために、ずらりと自然景観を破壊する形でこれらの設備を置かなければなりません。ちっちゃなちっちゃな町東京の為に、広大な地の景観を失わせるのです。原発や火力発電所は、集中したエネルギー源の性格から、事故が無い限り、比較的狭い場所の景観を変えるだけでした。一方すでにソーラーパネルによる景観破壊は問題になっています。これを更に加速して日本全土の景観破壊を進め、環境問題を解決すると思うのが、歴史的に正当化されるでしょうか?
 現在消滅都市が話題になっています。それも東京以外で。人口減少が激化し、このまま人口が減少すれば、という現在の延長線で未来を考えた結論です。これから化石燃料社会を脱却し、再生可能エネルギー社会に移行します。現在の単純な延長で未来は考えられないこと、肝に銘じておきましょう。集中性が強い化石燃料とは違った性質の太陽エネルギーは、異なった社会を造るのです。東京脱却そして地方創生が未来を造ります。

琵琶湖疏水

東京へ人口を取られ衰退した京都

明治初期、長く住んでおられた天皇が東京に移られ、それにつられて人口が急減した町がありました。京都です。
 第三代京都府知事に任命された北垣国道は、赴任に当たって伊藤博文と松方正義に呼ばれ、京都を末永く復興させる策を考えてくれと頼まれたのです。まさに持続京都の道筋をつけてくれと頼まれたわけです。
 赴任後調査の結果北垣が出した結論はこうでした。京都が栄えたのはその高度な工芸品による。江戸時代も各地の藩邸が置かれ、藩邸を通じて各藩の人々は、メイドイン京都の製品にあこがれ、それを自分の地に持ち帰った。今後とも京都の繁栄を望むなら、機械を導入しこれらの製品を多量に作れるようにすべきだ。そのためにはエネルギーが必要だ。
エネルギーには、火と水がある(火力と水力)。火は高くて環境に悪い(今の言葉に直せばそう言っています)。水が良い。
 そう考えた北垣は、京都のあらゆる河川を調査します。そしてどの河川も彼の目的の為にはそれぞれ欠点があると判断します。
 そして最後に琵琶湖の水を京都まで、高さを出来るだけ保って引いてきて、その水を加茂川に向けて勢いをつけて落とせば、大きな産業用水車を廻すことが出来るだろう。その水車で機械を動かすのだと思いつきます。

北垣国道像 疏水本線夷川発電所前にある

琵琶湖疏水はページを改めてご説明します

琵琶湖疏水は京都の名所になっています。特に哲学の道は、コロナ前には外国からの観光客も多く、特に有名でしょう。しかし琵琶湖疏水は雄大な意図で、琵琶湖から山科を通って京都の町をぐるりと廻る、エピソード豊かな水の流れを生んでいます。その魅力は別ページでご説明しますが、この文脈で知って置いて頂きたいのは、その目的がまさに我々の指針となる可能性を秘めていることです。
 北垣が考えた事は、持続京都の在り方として、地域の水力を使った産業革命を起こし、世界に羽ばたく京都にしようということでした。持続日本を考えて、各地で地域の産物を生かし、それを地域の再生可能エネルギーで生産性を上げ、世界に羽ばたこうではないかと、今も北垣の像が語りかけているようです。

近代の終焉

脱炭素は近代からの脱却を意味する

2021年、菅首相が言い出して、急に多くの人が脱炭素を言い始めました。しかし何か怪しげな話が、様々脱炭素に絡んで飛び出してきて、脱炭素の意味を皆が良く科学的に捉えていないことが心配されます。
 様々な怪しげな話が出ていますので、個々に問題を挙げて考察を加えていけば、論点が不明となり、HPの品格が落ちてしまいます。個々への反論は他にブログを立ち上げて、このHPで取り入れられない、細かな話題について論じたいと思います。
 ここでは、脱炭素は、近代からの脱却を意味することを指摘しておきましょう。
 どういうことか?
現代社会は産業革命以来の流れで出来ていることは皆さん良くご存じでしょう。日本もそれまでの考え方を放棄し、明治維新で近代化を推し進めた結果、東京に人口が移動し始めました。明治の近代化で西欧的な考えを取り入れ、工業化を進め、資本主義、西欧型民主主義を取り入れました。敗戦がそれを加速しました。敗戦以来西欧化の流れは加速し、西欧に模範を無条件に取り入れる風潮が当然となりました。
 しかしその西欧近代の流れが、世界的にも軋みを生じています。20世紀終わりに楽観的だった人々は、今戸惑っています。20世紀終わりに、誰が同時多発テロ、東日本大震災とそれに続く原発事故、コロナ禍、プーチンのロシア侵攻、安倍首相の暗殺など、想像したでしょうか? また異常気象を想像したでしょうか?すべて20世紀型社会の欠陥あるいは限界を表しているのではないでしょうか?
 20世紀社会は産業革命で始まった化石燃料社会が行き着くまで行き着いた社会と考えられます。その産業革命は、17世紀に始まった西欧近代主義が生み出し、そして西欧近代主義を強化しました。しかし最早化石燃料社会を続けられない時代に入りました。西欧近代主義一辺倒では、時代を先に進めなくなったのです。

何故西欧は「脱炭素」という言い方をするのか?

何故西欧は脱炭素という言い方をするのか? 私にはそれがわかりません。脱炭素は簡単に言えば炭酸ガスを増加させないことと解釈していいでしょう。それなら素直に化石燃料消費をやめようと言えば良いのに。
 西欧の人々の常識では、脱炭素と化石燃料消費中止とは同義と思えるのかも知れません。しかし日本ではこの二つは人々の論を見ていると全く別物になっています。例えば日本では「二酸化炭素を再利用する」という言い方が平気でまかり通っています。そしてその流れで、トンデモナイ議論を平気で大手マスメディアが流す結果になっています。もっと高校程度で良いから、物理や化学の知識で考えて見ようと言いたくなります。
 化石燃料消費をやめても、人類にはエネルギーが必要なことは自明の理です。そしてエネルギーは「エネルギーって何だろう」という本、および当HPの別のページで明らかにしたように、理解することは難しくはありません。そしてその理解を基にすれば、人類が持続的に使えるエネルギーは、億年という単位で絶え間なく地球に注ぐ悠久の太陽からのエネルギーが、様々に形を変えた「再生可能エネルギー」しかないのです。原発はほとんど役に立ってはいないのですから。

再生可能エネルギーで持続社会を

「脱炭素で持続社会を」を日本文化になじみやすい言葉で言えば「自然エネルギーで持続社会を」ということになります。自然エネルギーとは、自然に存在する、汲み尽くすことのないエネルギーのことです。
自然エネルギーという言葉は日本語です。直訳して”natural energy”と言っても欧米人には意味は通じません。
英語では、”renewable energy”と言うしかありませんが、これを直訳したのが「再生可能エネルギー」になります。
 もともとエネルギーという概念が物理学で成立したのは、産業革命まっただ中の19世紀のことでした。そのころ進展していた蒸気機関の改良について、「その改良は果てしなく可能なのか?それとも限界があるのか?」と問うて執筆されたのが、サジ・カルノーの「火の動力について」でした。カルノーはこの論文の中では、まだエネルギーと言う概念に達していませんでしたからエネルギーという言葉は使っていませんが、「熱素」という「熱エネルギー」の元になった概念で、投じた熱素のうちA/B(ただしA<B)しか「仕事」に変えることが出来ないことを証明します。このAとBは後にケルビン卿によって絶対温度と結びつけられ、A=(高温部の絶対温度-低温部の絶対温度)、B=(高温部の絶対温度)であることが明らかにされます。絶対温度という概念は、カルノーが見つけた蒸気機関の効率限界から導かれたわけです。いずれにせよエネルギーの概念が、蒸気機関と密接に関わっており、当時はそれは石炭で動く機械でした。したがってもともと再生不可能なイメージを伴っており、それを打ち消す”renewable”となるわけです。
 カルノーの「火の動力について」は、フランスアカデミーで、当時のそうそうたるフランスの科学者・数学者が参加した研究会で紹介されました。しかし、その論文はほとんど無視されました。蒸気機関の改良には限界があると示した論文は、「限界無き発展」を本質的に期待する「西欧近代」の考え方に合わなかったのかも知れません。カルノーは認められないまま、コレラにかかって若くして死んでいきます。
 そして21世紀の人々は、相変わらず「限界無き発展」の考え方を好んでいます。それが「脱炭素」という言葉とからんで詭弁でしかないトリックになるなら、一日本人である私にとっては「自然エネルギーで持続社会を」を発想の基に置く方が、多くの日本人の自由な発想を導き出すと考えます。「エネルギーって何だろう?」の理解を土台にして。

結論

「再生可能エネルギーで持続社会を」これが本ページの結論です。産業革命以来続いた大量化石燃料消費は終焉し、持続社会の時代へと移行するのです。これは現代社会を再生可能エネルギーで支えることではありません。それは無理です。主たるエネルギー源が変われば社会も変わるのです。
化石燃料が造りだした、持続不可能な社会は終焉します。例えば東京一極集中は終焉させなければなりません。
代わりに全国に散らばる中小規模の地方都市が、それぞれの個性を競い合う時代になるでしょう。日本の都市や地域は、さまざまな個性があります。すべてが競い合えば、日本の魅力は計り知れないものになるでしょう。
その参考として琵琶湖疏水があります。北垣の考えは多くの人に知られていいと思っています。彼が書き残した日記「塵海」と「琵琶湖疏水起工趣意書」をもとに、別のページで琵琶湖疏水の現在と、その歴史を紹介します。
地方都市の致命的な欠陥は、自動車依存社会です。現代日本では、家庭で消費される量を遥かに上回って、道路上で莫大なエネルギーが消費されています。道路が一番省エネ出来る領域なのです。一方線路上で消費されているエネルギーはごくわずかです。日本ではこれだけ新幹線、在来線、通勤列車などが走っているのに、エネルギー消費はわずかです。線路上を走る。これが省エネの鍵なのです。
人口10万人以上の都市では、町の交通の柱としてLRT導入を。これを別ページで紹介します。