京都市内の琵琶湖疏水

哲学の道

現在京都市内を流れる疏水の全体図はあまり良く知られていません。説明を受けると「え、あれも琵琶湖疏水だったの?」と思われる方がほとんどでしょう。
 親ページで、琵琶湖疏水の目的をご説明しました。衰退した京都を復興させるために、水力で京都市内に産業革命を起こす、ということでした。そのために、若王子から鹿ヶ谷界隈に、高く運河の水をつくるということが、最も大切なことでした。
 右の図をご覧下さい。図の右下に哲学の道と書かれた場所があります。このあたりが若王子ー鹿ヶ谷となります。水色の細い線が、疏水分線と呼ばれており、それに沿って哲学の道が北へ続き、銀閣寺に到ります。疏水はここではほとんど高低の差が無く、水はごく静かに流れていきます。この静かな水の流れが、哲学の道の静謐な雰囲気をつくりだしています。山麓高きにある静かな水の流れは、明らかに自然のものではなく、人工的なものです。しかし言われなければ解らないほど、見事に自然に溶け込んでいます。これが日本の伝統的な文化を表していることに、皆さんお気づきでしょうか? 島田道生という人が、丹念に測量を行ない、田邊朔郎がその等高線沿いに疏水工事を行った為にそのような水の流れが出来ました。
 この丹念な測量が、大津から京都まで行われ、それに基づいて若き技師田邊朔郎が工事を行ったことで、琵琶湖から京都まで、山科の北を通って、疏水面の高さをほとんど下げずに水が流れています。これが大切なことでした。琵琶湖から京都市にかけての話は、別ページで記述いたします。

京都市内琵琶湖疏水概念図

疏水と白川

蹴上

 琵琶湖疏水起工趣意書では、東山麓の高きから、白川に向かって急勾配に水を落下させることで水力を得ることが第一の目的でした。現在の疏水にどう反映しているのでしょうか?
 疏水の落差が直接解る景色が蹴上の琵琶湖疏水記念館の前にあります。ただ見る人は説明を聞かなければ解らないでしょう。噴水です。この噴水は疏水の高低差による水圧を利用して吹き上げており、ポンプ類は使っていないのです。
 上の概念図をもう一度ご覧下さい。疏水本線(低位)と疏水本線(高位)が、太い線で濃い青と水色で示してあります。そして高位のAが蹴上船溜まり、低位のBが南禅寺船溜まりとなっています。昔は、ここに船が走っていたのです。
 噴水の下の水は琵琶湖疏水です。ここは低位の疏水本線になっていて、ここには大津に向かう船が高位に上る順番を待っていました。南禅寺船溜まりです。地図にはBで表してあります。それに対してこの南東側には高位の船溜まりがあって、そこには大津から来て、高瀬川へ、そして伏見ー大阪へ向かう船が順番を待っていました。地図でAと示した蹴上船溜まりです。この高位から疏水の水が低位の噴水へと落ちてくるので、噴水は水圧だけで吹き出しているのです。
 

琵琶湖疏水記念館前の噴水。水圧で噴出する。

南禅寺水路閣

高位と低位で落差がある構造は、琵琶湖疏水起工趣意書の通りです。しかし趣意書では若王子あるいは鹿ヶ谷とあるのが、蹴上に変わりました。そして白川に落とす予定の水は、低位の本線として南禅寺船溜まりに変わりました。
 塵海の他の部分を合わせ読むと、山科を通った琵琶湖の水は、トンネルを通って今の若王子に到る予定だったと思われます。北垣の最初の疏水予定地点検では、山科を通った後、天智天皇の御陵の脇からトンネルに入った後(ここまでは現在の疏水と同じです)、南禅寺の北を過ぎた辺り(すなわち若王子)でトンネルを抜ける予定でした。
 近年琵琶湖疏水船が大津ー蹴上間の走行を再開しました。それに乗れば解るように、蹴上を出て大津に向かう船はすぐにトンネルに入ります。そしてそのトンネルを出たらそこは山科ですが、そこで仮に下船すれば、天智天皇御陵であることが解るでしょう。トンネルの山科口は変わらないものの、京都側では最初に想定されていたものより、ずっと南の蹴上となりました。
 何故このような変更を行ったのでしょうか? それは落差を大きくとるためであると考えられます。その変更のため、疏水は南禅寺境内を通る必要が生じました。南禅寺の景観を壊さないよう、水路閣を景観に調和するように建て、その上を疏水が通るようにしました。景観を重んじたのです。大都会に電力を送るために、地方に大規模なソーラーパネルを設置し、環境を壊す現在とは大きな違いがありますね。

水路閣。この上を疏水が流れている。

分断された白川

計画の初期の段階から、また琵琶湖疏水起工趣意書が提出された時期から、白川は重要な役割を持っていました。「・・高地に運河ありて、下に白川の流れあるのみならず・・」です。運河は疏水分線となり、哲学の道となります。では白川はどうなったのでしょうか?
 再び上の概念図を見て下さい。面白いことに気付くでしょう。白川は一度低位の疏水本線に合流し、本線の途中からまた分水されています。ほとんどの人は気付かないでしょう。
 右の写真が再分水の現場です。赤い鳥居は平安神宮の大鳥居です。この鳥居を潜る前に水が流れていることに気付いた皆さんは多いと思いますが、あれが疏水本線です。
 合流点は先ほどの噴水のすぐ脇にあります。白川の流れはかなり速く、大雨が降ったりすれば水が濁りますので、少し隠すような形で堤が作られています。一方分水点は鳥居の向かい側にありますから、人々の視線は鳥居に向けられ、分水点を気にかける人はほとんどいません。従って疏水と白川の関係に気付く人も少なくなります。
 再分水後の白川は、流れも緩やかになり、また水も琵琶湖からの澄んだ水となるので、これに沿って歩くのも楽しいですよ。別の機会にご紹介しましょう。