第三次産業でネットゼロを

 脱炭素は時代の流れでその切り札は××であるといったニュースがしばしば流れますが、切り札はともかく脱炭素の主役はソーラーパネルです。何故なら、再生可能エネルギー(自然エネルギー)の元をたどれば、ほとんどが太陽エネルギーにたどり着くからです。そして日本は比較的緯度が低く、太陽エネルギーに恵まれています。したがって太陽エネルギーを直接電気エネルギーに変えるソーラーパネルが、「最も効率が良い」エネルギー源となるでしょう。しかし化石燃料や原発を単純にソーラーパネルで置き換える発想は、決してうまく行かない発想です。何故なら化石燃料や原子力は集中したエネルギーですが、太陽エネルギーは広く分散するエネルギーだからです。
 ソーラーパネルを活躍させるには、何を行えば良いのでしょうか?水素やアンモニアに変える? 好い発想とは言えませんね。もっと良い発想を得るためには、エネルギーについてもっと良く理解しなくては。ここではエネルギー消費の実態から考えて見ましょう。

戦後日本での化石燃料消費の特徴と社会への影響

 世界各国のエネルギー消費の変遷は、IEAのホームページから調べることが出来ます。他の先進国に比べて、日本でのエネルギー消費には、いくつか明らかな違いが見て取れます。その第一はIEAのデータが始まった時から二十一世紀の初めまで、日本では工場を除く建物内部の消費エネルギー(特に電気)が急激に増加しているのに対し、他の先進諸国では、工場を除く建物内部の消費エネルギーは、過去半世紀を通じてさほど大きな変化が見られないことです。
 戦後高度成長の初めから、二十一世紀の初めまで、日本は大きく社会を変えてきました。石油と大量の電気を消耗する社会になりました。そのおかげで戦後荒廃した社会を立て直し、経済を大きく成長させることが出来ました。しかし一方で化石燃料由来のエネルギーをガンガン消費する社会になりました。戦後の成長という時代は持続不可能な社会への成長の時代だったのです。


 上の図は1973年から20世紀の終わりまでの、日本の電力消費の経年変化を見たものです。各点は年間電力量消費の大きさを表し、単位はMtoe(メガ石油換算トン)です。
 上の図から1973年から20世紀の終わりまで、日本での電力消費が急速に伸びていることが解ります。これはもちろんIEAが統計を取り始めた1973年以前から始まっているわけで、戦後の日本の急成長が、エネルギー消費の増大に支えられてきたことを示しています。昭和の経済成長をそのまま映し出したようなグラフですが、いくつか気になることがあります。その一つはバブルの崩壊のあと、失われた30年に入った後も、電力消費が特に第三次産業で、急速に伸びていることです。
 工場を除く建物内部の消費エネルギーは、皆さんの家庭、そして多くの皆さんが働く第三次産業の消費エネルギーです。家庭と第三次産業の建物のエネルギー消費が、60年代から約半世紀の間に、大きく変わっていったことは、昭和を生きた人には実感として解るでしょう。1960年以前の日本では、例えばエアコンは家庭でも商店でも、通常見ることがない代物でした。現代はエアコン無しの家庭や商店は逆に考えられない位に社会が変わりました。
 そしてそれ以上の変化が人口分布で起こりました。高度経済成長の頃、人々は東京へ東京へと流れていきました。今では東京一極集中の弊害が様々な形で出ていますが、いっこうにそれが改まることなく時が過ぎていきます。

第三次産業のエネルギー消費における日本の特殊性

 20世紀にエネルギー消費が急速に伸びた後、その後も21世紀に入って建物の中のエネルギー消費は、最初は微増していましたが、2010年までに、家庭でも第三次産業でも微減に転じました。また家庭での消費と第三次産業での消費は、毎年ほぼ同量となっていますが、第三次産業のほうがわずかに上回っています。
 実は第三次産業のエネルギー消費が、家庭でのエネルギー消費を上回る例は他にはほとんどなく、日本以外には韓国、シンガポールくらいしかないと思います。そのことを実感していただくために、下の図にG7を構成する諸国での、両分野のエネルギー消費の2019年の値を、棒グラフで表しておきます。出典はIEAのHPです。またアメリカが突出して大きいために、他の六国の値が小さくなり、図で比較しにくくなるのを避ける為に、あえてアメリカの消費量だけ1/3に減じて示してあります。2019年の値を取ったのは、コロナの影響を受ける前の値で比較したかったからです。

G7の家庭部門と第三次産業でのエネルギー消費の比較。単位はメガ石油換算トン(Mtoe)。アメリカの値は1/3に減じてある。出典IEAのHPより作成。2019年の値。日本だけが第三次産業の消費が家庭での消費を上回っている。

 何故日本だけが家庭より第三次産業を上回っているのか、興味深い謎ですが、その答えのヒントは最初の図にあるように思います。1973年には明らかに日本でも第三次産業のエネルギー消費は、家庭より下回っていたのです。その後第三次産業の消費が急速に伸び、二十世紀がまさに終わろうとする寸前、逆転現象が起こります。この逆転現象が起こった時期には、日本経済の停滞がすでに始まっていました。
 この現象を失われた30年と結びつけて詳しく論じたページがありますので、興味ある方はそのページをお読み下さい。リンクがこのページの下部に貼ってあります。
 20世紀は東京集中が急速に進んだ時代でした。東京では常に再開発がどこかで進み、(不思議なことにコロナ禍明けでも、一見前向きに見える議論は、いまだに東京圏の再開発です)、そのたびにエネルギー消費が高い社会構造に変化していきました。そしてその流れは40年ほど続いた経済成長を生みましたが、今やその賞味期限が切れ、日本経済を牽引できなくなったのが、失われた30年です。
 何が失われたのでしょうか? そしてその状況を打ち破る鍵はどこにあるのでしょうか?
 前者の答えは多様な魅力を持つ地方であり、後者の答えは地方創生にあると考えます。
 東京一極集中と少子高齢化は大きな相関関係があるように思われます。日本の首都圏の人口集中はの本の約1/3ですが、韓国はもっと酷くソウル圏の人口は国全体の半分を超えたそうです。韓国の少子高齢化は日本より深刻です。そして興味深いことに、韓国でも日本と同じように第三次産業が家庭よりもエネルギーを多量に消費しているのです。73年から現在に到る韓国のエネルギー消費を見れば、初期のうちはまさに後進国として、エネルギー消費は微々たるもので推移していました。エネルギー消費が急増し始めたのは、全斗煥大統領の時代で、彼が日本を見習って経済発展をしようと、それまでの政府の方針を大きく変えました。戦後日本モデルが経済発展を遂げることを示す一例とも思われますが、そのモデルの同じ罠にかかって経済も停滞、人口も急減少したと見られます。大都会集中の弊害は東アジアの隣国でも見られているのです。

地方創生の推進力を地方の第三次産業から

 日本の第三次産業は、戦後大きな発展を遂げました。エネルギー消費が特に増えたことから、それを見て取ることが出来ます。そして現代日本のサービス業が提供するサービスの質の高さには定評があります。また日本の各地域には、長い伝統を誇る町も数多くあり、潜在的能力を持っています。東京には日本経済の牽引力が最早無いのですから、地域のそれぞれが大きく発展すること以外に、日本全体の経済を発展させることは難しい事を皆が理解することが重要なのではないでしょうか?
 これからの発展は単なる経済成長ではなく、持続社会への成長という視点が必須のことであること、言うまでもないでしょう。エネルギー消費が多い第三次産業(潤沢なエネルギーがサービスの質を支えます)と、持続可能社会を結びつけると、一つのアイデアがわいてきます。「第三次産業のビルの屋上にソーラーパネルを」です。
 グローバル時代に地域創生を牽引するのは、伝統を継いですでにある地域の第一次産業第二次産業を売り出す地域の第三次産業です。第三次産業の質の良いサービスを提供するためにエネルギーが必要です。そのエネルギーがそのビルの屋上で太陽のエネルギーを変換し作り出されるとすれば、素晴らしく愉快なことではないですか。
 大都市では出来ないことです。大都市では高層ビルが当たり前になっています。高層ビルは幾層ものフロアで大量のエネルギーを消費しますが、その屋上は狭く、限られた量のソーラーパネルしか設置できません。
 一方地方では広い土地があります。屋根もゆったり取れます。だから高層ビルにする必要はありません。
 日本で特にエネルギー消費が多い第三次産業でこそ、ネットゼロの建物を作り出すことが大切です。質の高いサービスを提供するために、地域創生の原動力となるために。

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