19世紀‐石炭が作った世紀

19世紀ー石炭の世紀

19世紀は石炭の世紀です。18世紀半ばにイギリスで始まった産業革命が、石炭大量消費を生んだのは良く知られています。

中国で始まった石炭利用

 石炭の実用的消費は、中国で始まりました。漢の時代にすでにあったそうです。石炭を今で言うコークス化し燃焼時の高温化を達成する技法も中国では古くから知られていたそうです。石炭は調理に使われていました。中華料理では、今でも火をガンガン焚いて調理することは良く知られていますが、あれは高温を必要とするからですね。中国では昔は石炭を使っていたのです。また宋代にはすでに石炭利用は強い規制がかけられていたのも、興味ある話でしょう。大阪もどきに食い倒れの中国の人々は、石炭という資源を上手に利用し、そして管理することを、世界史的に共通する古代に、すでに始めていたのです。

西洋での石炭利用の始まり

西洋での石炭利用は、機械を動かすためであることは、産業革命理解の大切な視点です。蒸気の力で風車を廻すことは、古代ギリシャ時代に行われていましたが、これはあくまで知的な楽しみのためで、いわばおもちゃでした。これに対して、18世紀初めにニューコメンが実用の目的を持って蒸気機関をつくりました。彼の目的は、石炭を含む鉱山から水をくみ出すことでした。

西洋の石炭利用は何をもたらしたか?

ジェームス・ワットの蒸気機関

 最も本質的に画期的な出来事は、石炭という大量に投入できるエネルギーを使った工場が始まったことです。日本では産業革命と訳しておりますが、英語ではIndustorial revolutionであり、工業革命なのです。ジェームス・ワットの蒸気機関がそれを可能にしました。彼の発明は蒸気による直線運動を、回転運動に変えたことです。これによって大規模集中かつ継続的なエネルギー利用が可能になったのです。まずは様々な機械に使われました。大規模な工場が設立され、農村の余った人手を町に吸収する仕組みができあがったのです。現代に続く大都市集中は、19世紀に始まりました。

スティーブンソンの蒸気機関車

 次に大きな変革は、蒸気機関車によってもたらされました。蒸気機関車は、世界中の庶民達にもよく見える大変革だったのです。それまでは馬車を乗り継いで移動するしかなかった都市間を、蒸気機関車が牽引する、あたかも居間かロビーのような快適な空間で、移動する楽しみを19世紀の先進諸国は知ったのです。鉄道は都市間を結ぶ大規模で快適な輸送機関として、ヨーロッパで始まりました。都市間を結ぶ交通手段として始まったことは、ヨーロッパの主要都市には、その郊外に幾つかの駅が置かれていることから解ります。ある都市の方面に旅するには、その方面の駅にまず行かなければならなかったのです。

化石燃料を使い始めて、決定的に変わったこと

つまり石炭という化石燃料が、大きく切り開いたものは、大規模工場と交通手段の革命でした。これは20世紀になって、主要なエネルギー源が、石油と電気にとってかわられても、工場と交通手段がエネルギー消費を食らう二本柱であることに変わりはないことは、現代のエネルギー消費でもIEAのデータから変わらないことがわかります。それに伴い、人口の移動が可能となり、その結果大都市集中が日本では特に起こりました。そのことはよく理解する必要があります。

家庭でのエネルギー消費で何が変わったか?

家庭でのエネルギー消費で何が変わったでしょうか? 
 産業革命以前にも、家庭ではエネルギーが消費されていました。それは部屋を暖めるためのストーブと、台所での煮炊きするためのエネルギーです。エネルギー源は木です。現代の分類では、バイオマスエネルギーとなります。バイオマスがエネルギーを持つのは、植物が行う光合成で、太陽エネルギーを取り込んだ炭水化物ができたからです。
 石炭はむろん木の代用となりました。昔は多くの家庭にも、石炭ストーブが置いてありました。
 石炭時代、一つの画期的な出来事がありました。ガスの利用が始まったことです。石炭を不完全燃焼させて一酸化炭素を造り、それをガス管を通して各家庭に配給することが始まったのです。気体のエネルギー源が各家庭に供給され始めたのです。ガス灯はろうそくの代わりとなりました。どこだったか忘れましたが、東京のどこかに、日本で第一号のガス灯が灯された場所があります。何故明かりを電気からとらなかったのか不思議に思う方もいるでしょう。答えは簡単です。電気はその当時未来に供給されるだろうと期待されるエネルギーでした。電気の各家庭への供給は、ガスの供給より後になりました。

こうして石炭はあらゆるエネルギー源の代わりを果たすようになった

こうして石炭は、それまでのエネルギーの代わりを務めるようになり、社会的にエネルギーと言えば石炭をさすようになりました。事実19世紀の物理学者は、太陽も石炭からできていると考え、そのころ分かっていた太陽の質量から、太陽の寿命を計算したりしました。だが困ったことに、計算の結果から考えると、太陽はとっくの昔に燃え尽きていたはずでした。