21世紀 化石燃料時代と東京時代の終焉

 21世紀は大きく変わる変化の時代です。コロナ禍、ウクライナ危機が世界的にそれを示しています。もちろんプーチンには憤りを感じますが、ローカルにしか通用しないはずの独善的な政治家を、世界的な影響力を持つ仕組みに作り上げたのも20世紀社会でした。結局20世紀の社会は、持続社会ではなかったのです。これから目指すべきは持続する社会、持続社会を作り出さなければなりません。お題目みたいにCO2削減と唱えることは意味をなさず、持続社会とは何かを基本から考えていく事が求められると思います。

世界的には化石燃料時代終焉を意味します

 脱炭素は皆が望ましいと思っているようですが、脱炭素の意味は、化石燃料を使わないことです。それを直視しないといけません。化石燃料を使わず、再生可能エネルギーで、地上に住むすべての人々が幸福に暮らす社会が築けるか、そういう問題なのです。
 物理学から見て、原理的には可能であると考えます。現在全世界で一年間に消費されている化石燃料は莫大な量になりますが、一方でほとんどの再生可能エネルギーの元である太陽エネルギーは、一年間にその一万倍も、地球全体に降り注いでいます。
 単純に考えれば地球全体に降り注ぐ太陽エネルギーの一万分の一の量を、地球のどこかで二次エネルギーである水素などに取り込み、それを世界中に輸送していけば良いのです。しかしそのためには、広大な広さを持つ範囲で、それを行わなければなりません。太陽エネルギーを水素エネルギーに変えるための効率は、それほど高いとは考えにくいでしょう。ソーラーパネルで太陽光を電気に変えるのは約10%の効率です。電気を水素に変えると、プロセス全体での効率は更に低くなります。それでも仮に太陽エネルギーを何らかの形で水素などのエネルギーに10%の効率で変えることが出来たとしましょう。その時この水素エネルギー精製工場の面積は、一万分の一の十倍必要ですから、地球面積の千分の一を占めることになります。この値は約5億平方キロメートルになります。日本の国土の千倍以上の広さです。
 一方こんなに広い水素製造工場をどこかに造れば、水素価格はべらぼうに高いものになるでしょう。その値段は庶民が簡単に購入することができる値段ではないでしょう。現実的ではありません。恐らくある程度大がかりな水素製造工場を造り、水素輸出で経済を潤す広い国はいくつか出来るでしょうが、それは工場など大量にエネルギーを消費する場所での利用の為と考えたほうが良いでしょう。太陽エネルギーは大量だが集中しないことを肝に銘じて、これからのエネルギー論を展開しないといけません。
 地球の千分の一の面積は、分散したらそれなりに小さな値になります。つまり中小規模の都市とその周りの広い緑地面積あるいは海や淡水を考えれば、地域ごとには何とかなるでしょう。つまり人口集中を避け、分散した多様な都市の集合体として、地域と国を変えていけば展望が開けるのです。

19世紀は石炭、20世紀は石油・大量電気の時代だった

 そこで過去を振り返る大切さを知ることになります。次の単純な事実をはっきりと認識しましょう。それは産業革命以来、人々は化石燃料を大量に消費して、社会を発展させてきた事です。これは現代にも至っています。そして社会は結果的に消費するエネルギーを使いやすいように発展してきました。何故なら消費するエネルギーが使いやすいと、それだけ安価に強靱な社会を建設できるからです。この事を認識すれば、エネルギーの主流が化石燃料から自然エネルギーに移行するには、社会が大きく変わるだろう事は、容易に考えつくことでしょう。エネルギーが変わると大きな発想の転換が勝利するのです。
 我々日本人が良く知っている例で考えて見ましょう。19世紀半ば、クロフネに恐怖した日本人は、西欧に追いつけと、クロフネ(石炭船)を取り入れます。それまでの自然エネルギー船(帆船)では石炭船に勝てなかったからです。そして半世紀も経たないうちに、先進国ロシアのバルティック艦隊を殲滅するという、石炭船同士の戦いに勝利します。
 時代は石油時代へと移ります。石炭船の延長で石油船が造られ、巨大化していきます。日本は戦艦大和を世に送り出します。世界最強の戦艦のはずでした。しかし石油は飛行機という新型の兵器を造り出しました。これは石炭では造れないものです。開戦直後、日本は飛行機を使ってイギリスのプリンスオブウェールスを撃沈しますが、それがブーメランになって大和も飛行機に負けてしまいます。主たるエネルギー源が変わったとき、前の時代の発想を続けていたら、大変な悲劇を生み出す一例となっています。

どこでどれくらいのエネルギー消費が行われているか

 化石燃料時代の最盛期までは、使える化石燃料をガンガン使うことが、「成長の道」と考えられていました。ちょうど子供の成長期には、食事をガンガン食べるのが大切であるのと同じように。これは高校生でピークになります。しかし集中して得られるのではない自然エネルギー時代に向けて進むべき現代では、そのような方法では、持続社会への成長を遂げることは出来ません。もっと知的な成長が必要なのです。ちょうど高校を卒業した若者が人生設計をはじめ、長期の活躍を考え始めたころ、がつがつ食らうだけの食生活から脱するように。食事を友人たちと、仕事仲間と、そして異性と楽しむすべを学び始めるでしょう。がつがつするのは大人としてみっともないと。同じように人類は自然エネルギーで生活を支える楽しみを学び始めました。そして自然エネルギー時代に存在できないような構造のものを極力避けて、代替案を考えなければならない時代になりました。人類の成長期の最終段階‐大人として持続的に存在していくマナーを学ぶべき時代‐に入ったのに、先に大人になって模範を示してくれる大人を人類は共有していないのです。
 そこで人類は自分で大人になる道を探さなければいけません。それにはどの場面でどれくらいのエネルギーを消費しているかを知ることは重要です。あまりエネルギーを消費していないところで、懸命に省エネを工夫してもあまり役には立たないこと、お分かりでしょう。もともとわずか2%でしかないところでいくら頑張ってもって、常識的に思いますよね。でもこのわずか2%というのは、結構良く見ることなのですよ。
 日本で見て見ます。最も多くエネルギーを消費しているのは工場です。エネルギー白書では、産業部門と呼ばれています。一方世界のエネルギー統計を取り扱っているIEAの分類によると”Industry”、まさに工場が一番エネルギー消費の場となっています。ただ工場のエネルギーはそれこそ専門家の人に任せて、とりあえずは我々庶民が考えることではないと棚上げしておきましょう。
 次に続くのがエネルギー白書では運輸部門、IEAの分類では”transport”です。それに続いてエネルギー白書では業務部門、IEAの分類では”commerce and public services”です。第三次産業と思って頂ければ良いでしょう。そして家庭部門に続きます。IEAでは”residencial”となります。微妙な差異はありますが、エネルギー白書の分類と、IEAの分類はほぼ対応しています。
 IEAのHPにあるsankey図から、日本での最終エネルギー消費を分野別に分けて、コロナ禍前の2018年とコロナ禍中の2020年について表に示します。単位は表の下の説明にあるようにMtoeです。

日本では第一に脱東京時代を意味します

 現代の最終エネルギー消費は、莫大な量にのぼり、その大きさは、人が生きるため食事から得るエネルギーの数十倍に上ります。石油の代わりに自然素材(バイオマス)を使ったら持続社会に貢献すると考える人がいますが、食物のエネルギー源は、もともと植物が光合成して取り入れたもの、バイオマスのエネルギーも同じメカニズムによりますから、バイオマスで石油の代わりを例えば行おうと思ったら、食料畑の数十倍の面積が必要となります。都市のごみを使って油を作ると言って、都市油田などいったテレビが原発事故後ありましたが、それは無理です。確かに都市は人口が詰まっているので、ごみもたまりやすい。しかし統計によれば、人一人が一日に出すごみは、ほぼ人一人が一日に必要とする食料と同じ乾燥重量を持ちます。言い換えればほぼ食事一人分のエネルギーを持ちます。数十倍必要な量にはもともとはるかに及ばないのです。
 そんなアホなことに期待しないで、現実を直視すると都市油田ではなく大都市崩壊が見えてくるでしょう。都市には今でも近郊あるいは遠隔地から、優先的に食料が送り込まれています。食料と同じように中東などから化石エネルギーが集中的に送り込まれています。化石エネルギーは中東などで集中的に採れたエネルギーだから、そのまま集中して東京に送り込めたのです。しかし東京を自然エネルギーで生かそうとすると、食料の数十倍のエネルギーが必要です。これを世界各地から送ってもらうには、莫大な面積のエネルギー畑が必要です。
 それなら東京でエネルギーを取ればいいじゃないかと思う人は、次のページをご覧ください。

東京都の消費エネルギーをソーラーパネルで賄えば? | エネルギーって何だろう? | NPO法人千年文化を考える会 (sennenbunka.jp)

21世紀末には、東京の人口は1/4以下になっているでしょう。その位でもまだ日本のお荷物と言われているのではないでしょうか?

脱東京はさらに脱自動車社会を意味する

 脱東京で人口は地方に分散します。地方は一般に広い場所があります。地域で工夫して、快適なだが無駄なエネルギーを消費しない、快適な街や田舎を造り、そこのエネルギーは地域にあった自然エネルギーの地産地消で賄う。そのような構造を持った地域を各地で作ります。それが千年続く持続社会構築につながるのです。そのような偉大な時代が若い人たちに待っています。
 今の地方都市、それを囲む農山漁村がそのまま自然エネルギー社会に持っていきやすいかと言えば、一つ大問題があります。それは自動車です。
 先に分野別の最終エネルギー消費を見ました。最大のエネルギー消費分野は工場です。これが全体の1/3ほどです。次に多いのが全体の1/4ほどの運輸部門です。工場は技術者集団ですから、それぞれが考えるでしょう。時代が変われば淘汰されもするでしょう。では運輸部門は誰が考えるのでしょうか? 人や物の移動は淘汰されず、いつの時代にも必要です。それを考えるのは地域住民です。自然エネルギー社会は、地域住民が地域の在り方を考えます。エネルギーの基本的な理解は、その活動の核となります。また地域民主主義もその地域で育ちます。それを訓練するのが、脱自動車社会です。何故なら自動車は工場以外での最大のエネルギー消費者なのです。
 運輸部門は工業部門に次いでエネルギー消費が大きいのですが、その詳細を見てみましょう。

 運輸部門のほぼ90%のエネルギーが道路上で使われています。自動車も大都会と同じように、20世紀の産物であり、石油が高くなった時点で、邪魔者扱いされるか、せいぜい補助的な乗り物となります。すべての道路で自動車が傍若無人にふるまっていた光景は、20世紀後期の異常な景色として、映像だけで見られるものになるでしょう。その代わりに鉄道が人と物の移動の主役になります。

全国の中小都市に地域にあったLRT導入を

東京は縮小しなければなりません。これからの主役は、全国に散らばる中小都市です。全国の地域を活性化しなければ日本が成り立たなくなります。そしてその柱となるのは、街の自慢のLRTです。