カルノーサイクルは、理学部及び工学部系列の大学で必修の熱力学という科目で必ず習う「理想の熱機関」です。しかし何とも幻想的な機関なので、多くの学生が抱く最初の感想は「何のこっち」ゃじゃないかと思います。
カルノー理論の背景
カルノーが彼の論文「火の動力について」を発表したのは、イギリスで進行する産業革命の真っ最中でした。フランスの革命派軍人を父に持ってカルノーは育ちました。父親はまるで日本で言えば秀吉のように庶民から出世したナポレオンの軍隊における元上官で、ナポレオンーカルノー両家は、ナポレオン全盛時代家族ぐるみのつきあいだったそうです。彼の弟の記録には、少年カルノーが果敢にも皇帝ナポレオンに向かっていったエピソードが残っています。ナポレオンは少年カルノーの振る舞いに大笑いしたそうです。
カルノーはフランス革命を機に創立されたエコール・ポリテクニクを卒業します。そこでもちろんニュートン物理学などを学びます。そして進行中の産業革命では、新しい技術はイギリスで常に進められることにいらだちを覚えたのかも知れません。フランス革命を成し遂げた偉大な祖国も、科学技術ではニュートンに先を越され、産業革命ではまた新技術でイギリスに先行されていると。
いずれにせよカルノーは、イギリスで進行中の蒸気機関の改良が目覚ましいことに言及し、賛辞を寄せます。しかし彼は言います。この技術の進展は目覚ましいが、理論的な研究が一切されていないと。そこで彼は重大な疑問を発します。この技術の改良はどこまでも可能なのだろうか、それとも何か理論的な限界があるのだろうか? これが彼が理想的ながらも幻想的なカルノーサイクルを考案した理由でした。カルノーサイクルは、理想的な熱機関、つまり熱機関からどれだけ他のエネルギーを取り出せるか、言い換えれば熱機関の限界を厳密に示した物であると捉えなければ、その意味はわからないのです。
熱と温度
カルノーサイクルを理解するためには、熱と温度の概念をしっかりとつかんで置かなければなりません。熱と温度は別の概念であり、これを混乱して理解していたら、カルノーサイクルの意味がわからなくなります。
温度は物体が定常的な状態にあるとき、その物体の状態を示す量の一つです。例えば気温35℃などと言いますがこの35℃が温度です。気温35℃のままでは、熱中症に襲われる心配もありますから、部屋の温度を下げるためにエアコンをつけ、例えば室温を27℃に下げることをします。
ただし現実には理想的な平衡状態はありません。気温35℃のとき、屋根は強い日差しを浴びて、もっと高い温度になっているでしょう。部分的には50℃を超えているかも。
さてエアコンは何故室温を下げることが出来るのでしょうか? それはもともと室温35℃あった部屋から室外に熱(熱エネルギー)を放出したからです。熱を取り去ると温度が下がり、熱を加えると温度が上がります。一般に温度が異なる物体(空間でも良い)が隣接していると、熱は温度が高い方から低い方へと流れていきます。そのため高い方の温度は熱を失って下がり、低い方の温度は高くなって、同じ温度になったとき、熱の移動は止まります。同じ温度になるのですが、その温度は当然元の温度の高い方より低く、低い方より高くなります。
気体の体積と温度ー断熱膨張と断熱収縮
話は変わります。新たに違う視点が必要だから話を変えるのです。上記では熱のやりとりを考えました。一方熱のやりとりがない「理想の」状態を考えなければ熱の理論は構築できないという洞察が、カルノーの重大な着想でした。熱機関を考えるために、熱のやりとりがないプロセスを考えたのです。
気体は圧力を加えると体積が小さくなり、圧力を下げると膨らみます。この関係はボイルが研究しました。中学校の理科でも習います。今理想的なシリンダーが出来たとしましょう。シリンダーの中にはピストンが置かれ、ピストンを引いたり押したりすると気体の体積が変わります。そして理想的なというのは、シリンダーもピストンも一切熱を伝えない性質を持つとします。そうすれば、シリンダーから熱が逃げたり、逆に入ってきたりしません。
熱の出入りをなくすことを断熱と言います。断熱ということばは、建築物でも使います。断熱性が良いとは、熱を通しにくいことを意味します。
さて上に述べたようなピストン付きシリンダーで考えて見ましょう。ピストンを静かに引いてシリンダー内部の体積を増せば、内部の気温は下がります。逆に静かに押して体積を小さくすれば温度はあがります。これはシャールさんが法則として見つけました。先のボイルさんの法則と合わせてボイルーシャールの法則と呼ばれますね。
断熱膨張と断熱収縮は可逆過程と呼ばれます。トータルなエネルギーのやりとりなく、元の状態に戻せるという意味です。例えばピストンを押すとき力を入れて押せば、それは仕事をしたことになります。エネルギーを与えたのです。しかしその力を取り除けば、内部の圧力でピストンは元に戻ります。このときピストンは外部にエネルギーを与えます。そして押すとき与えたエネルギーと、力を取り除いて元に戻すとき引き出すエネルギーは等量であり、トータルのエネルギーのやりとりはありません。言い換えれば断熱膨張と断熱収縮では、機械を動かすことは出来ません。何かエネルギー源が必要です。そのエネルギー源は高温槽から供給される熱となります。
カルノーサイクル
エネルギー保存則
カルノーの時代はまだエネルギーの概念が確立していませんでした。そこでカルノーの論理をカルノーの説明を辿ることにより説明しようとすると、不必要に解りにくくなる可能性があります。そこでこのページの親ページで説明したエネルギーの性質の1と2を使って説明しましょう。それは
- エネルギーは変換される
- 変換されても総量は変わらない
でした。これはエネルギー保存則を解りやすく説明したものです。例えば電気エネルギーは変換されて始めて意味があります。例えば光エネルギーに変換するとしましょう。副次的に熱エネルギーが出ることは、電気器具を長く点けておくと段々暑くなることでわかります。電気エネルギーは光エネルギーと熱エネルギーに変換されました。これがエネルギーは変換されるの意味です。そして変換されても総量は変わらないですから、電気エネルギーから変換される他のエネルギーの総量は変換前の電気エネルギーの量と変わらない、これがエネルギー保存則の意味です。
エネルギー保存則から、利用したいエネルギーを生成したければ、エネルギー源が必要だとわかります。エネルギー源が変換されて、利用したいエネルギーに変わります。また副次的なエネルギーを発生させれば、変換されるエネルギーの総量は変わらないのですから、その分利用できるエネルギーが少なくなるわけで、エネルギー源を最大限利用するには、副次的なエネルギーの発生を抑えなくてはなりません。
エネルギー源は高温槽の熱エネルギー
蒸気機関は火を燃して動力を得ます。火を燃して高温をつくりだしているのだと考えたのが、カルノーの慧眼でした。カルノーは熱素という当時の考えを使っていましたが、これは現代用語に直せば熱エネルギーになります。いずれにせよ高温部を作り出してそこからの熱エネルギーがエネルギー源になります。
そこで先ほどのピストン付きシリンダーに戻ります。このシリンダーに断熱蓋を装着しておき、これを閉めるとシリンダーの断熱性は完全となり断熱膨張、断熱収縮ができるが、蓋を開ければ、そこから熱エネルギーの出入りが出来るようにします。
シリンダーの内部温度は、断熱蓋を閉じておけば、ピストンの操作で変えられました。そこでまずピストンを調節して、シリンダー内部の温度を高温槽の温度と等しくさせます。そしてシリンダー全体を高温槽に着けます。
サイクルの第一のプロセスー等温膨張
次に断熱蓋を開け、ゆっくりとピストンを引きます。ピストンを引くとシリンダー内の温度は下がります。ですが断熱蓋が開いているので、シリンダー内に熱エネルギーが入り込み、シリンダー内の温度を高温槽と同じまで上昇させます。
このようにゆっくりしたプロセスでシリンダー内に熱エネルギーを取り込みます。熱エネルギーが取り込まれても、シリンダー内の温度は、ほぼ高温槽の温度と同じに保たれます。これを等温膨張と言います。等温膨張では、それを充分ゆっくりと行えば、エネルギーはほとんど消費しないと考えます。
サイクルの第二プロセスー断熱膨張
充分熱エネルギーを高温槽からシリンダーに受け取ったら、次のプロセスに入ります。高温槽から取り出し絶縁蓋を閉じ、断熱膨張を行うのです。このプロセスで外向けに仕事がなされます。言い換えればエネルギーを外部に取り出すことが出来るわけです。
同時に断熱膨張はシリンダー内部の温度を下げます。何度まで下げるのか? それはこのすぐ後に見ます。もしこのプロセスの後、そのまま断熱収縮をしたらどうなるでしょう、外部に採りだしたエネルギーを、再びシステムに取り入れなければなりません。断熱膨張と断熱収縮は可逆過程であると、すでに見ています。つまりトータルで取り出せるエネルギーがないことになります。
エネルギーをトータルに取り出すには、低温の部分が必要であると見抜いた点が、カルノーの最重要発見でした。第二プロセスの断熱膨張は、シリンダー内部の温度が低温槽の温度まで下がるまで行います。カルノーサイクルでは、熱エネルギーを貰う高温槽以外に、熱エネルギーを放出する低温槽が必要です。
サイクルの第三プロセスー等温収縮
シリンダー内部の温度が、低温槽の温度と等しくなったとき、第二プロセスを終え、第三プロセスに入ります。第三プロセスは第一プロセスと同様、温度を一定にして低温槽で熱エネルギーのやりとりを行います。つまりシリンダーを低温槽に入れ、断熱蓋を開けて、熱エネルギーが出入り出来るようにします。このときはシリンダーの中の熱エネルギーをはき出させます。どれだけの熱エネルギーをはき出すのかは、次の第四プロセスで見ます。第三プロセスでは、熱エネルギーをシリンダーからはき出すことを覚えて置いて下さい。
第四プロセス
第四プロセスは断熱収縮です。ここでシリンダーは外部から仕事を受け取ります。言い換えれば第四プロセスを行うには、エネルギーが必要です。断熱収縮ではシリンダー内部の温度が上がります。どこまで上げるかと言えば、高温槽と同じ温度まであげます。また低温槽で放出する熱を調整して、第三プロセスで放出する熱エネルギーの量を、第四プロセスが終わったとき、第一プロセスに入る直前のシリンダーの状態に戻る量だけ、と決めておけば、第四プロセスを終えたシリンダーは、再び第一プロセスからの活動を辿り、繰り返し同じ運動が出来ることになります。
エネルギー保存則から言えること
カルノーサイクルは、以上の第一~第四のプロセスからなります。何故カルノーはこのような不思議なサイクルを考えたのでしょうか? それはエネルギー保存則を使うためでした。カルノーはエネルギー保存則の概念には完全には到っていませんでしたが、エネルギーを効率的に使うには、エネルギーが副次的なエネルギーとして出来るだけ出ていかないようにする事が大切だと知っていました。今でいう力学的エネルギー保存則は当然知っていました。彼はそのような考察のノートを残しています。力学的エネルギー保存則の類推から、各プロセスで副次的なエネルギーを発生させないよう、極力工夫を重ねたのです。断熱膨張・断熱収縮を使ったのもそのためでした。これが可逆過程と言うことは、副次的なエネルギーが逃げていかないことと同義なのです。
ここで彼が気が付いた最も重要なことは、第一プロセスで高温部から熱エネルギーを貰うが、第三プロセスで熱エネルギーを低温部に捨てなければならないことでした。言い換えれば受け取るエネルギーをすべて別のエネルギーに変換することは不可能であることを意味します。エネルギー保存則から、受け取る熱エネルギーから捨てる熱エネルギーを引いた分しか、他のエネルギーに変えることが出来ないのです。
この事情はすべての熱機関で成り立ちます。例えば火力発電でもそうです。火力発電は燃料を燃して放出される熱エネルギーを、電気エネルギーに変換するための装置です。そこでもカルノー理論に従って、燃して放出される熱エネルギーの一部は、低温部に(通常海が低温部になる)捨てなければ、発電装置は機能しないのです。そしてどれだけの熱エネルギーが捨てられないといけないかは、カルノーの理論に厳密に従います。
カルノーの「蒸気機関の改良は無限に可能なのか? それとも何か避けられない限界があるのか?」という問題意識の結論は「限界がある」というのがその答えでした。この限界は自然が与える限界であり、イノベーションで乗り越えることは決して出来ない限界なのです。