エネルギー消費データの推移に見る東京一極集中の弊害
エネルギー消費についいては多くの人が議論を行い、また危機すらも感じていることは確かでしょう。しかしエネルギー消費データをまともに調べて議論する人はほとんどありません。と言うより皆無であると言って良いのでは無いかと思います。データも調べず議論するなんて、他の分野では信じられない光景ではないでしょうか?
エネルギー消費データを調べるためにまず、我々はどこでエネルギーを消費しているかを考えて見ましょう。もちろん家庭で消費しますし、皆さんの職場ででも消費します。ありとあらゆる場所でエネルギーは消費されています。
エネルギー消費については、IEA(International Energy Agency)が国際基準を設けています。そして部門別のエネルギー消費として、毎年のデータを管理しています。その部門を見てみましょう。なるほどと思われるでしょう。下に部門の区別と、2023年度の日本における一年間の消費の大きさを%で表します。
- 家庭 13%
- 第一次産業 3%
- 第二次産業 38%
- 第三次産業 14%
- 運輸 22%
- 非エネルギー利用 10%
説明はほとんど必要ないでしょう。ただ一つ非エネルギー利用とは何かを疑問に思う人が多いでしょうが、これは石油を加工してプラスティックにしたりという利用法からきます。例えば家庭部門では電気や都市ガス、それに灯油(石油製品に分類されます)などのエネルギーが消費されます。
上に述べた部門で消費されるエネルギーを最終エネルギー消費と言います。これが各国の協力でIEAが世界中のデータとして管理しそれを毎年公表しています。すでに述べたように上のリストでは、それぞれの部門での日本における消費の大きさの割合を2023年度の値で示しています。この割合は過去十年間を見てもほとんど変化はありません。と言うより21世紀に入ってからあまり変化はありません。省エネのかけ声は特に福島原発事故があったりして、常に叫ばれてきましたが、実際にはほとんど効果は無かったようです。
では20世紀を見たらどうなのでしょうか?
残念ながら20世紀を通じてのデータは公表されていません。IEAが出来たのは1973年、オイルショックの年です。そこで1973年~2020年までの電力量の消費を、家庭部門と第三次産業部門で追跡してみましょう。

エネルギー消費を正しく把握する為に、部門別の理解と共に必要になるのが、エネルギー種別での理解です。21世紀日本では、エネルギーと言えば直ちに電力と考える人が多いですね。事実日本では電力消費が特に突出していて、半分ほどが電力であるのですが。
しかし電力以外にも都市ガスなどが家庭でも使われていますし、交通ではガソリンなどの石油製品が使われていることも頭に入れておきましょう。
この電力消費が戦後急速に増加してきたのが、日本におけるエネルギー消費の特徴の一つでありました。それも家庭部門と第三次産業で、それが顕著に見られました。
上の図は家庭部門と第三次産業の部門で、IEAの統計が始った1973年から2020年までの、一年間の消費電力量の推移を、IEAのホームページから数値を取ってきて、グラフにしたものです。エネルギー量の単位はメガ石油換算トン(Mtoeと略記)という、IEAが標準で使用する単位を使っています。もちろんこれは一定の換算率をかけることによって、もっとおなじみであるキロジュールを単位にすることが出来ますが、とても大きな量になり、通常ペタジュールで記載することになります。パソコンをよく使う人は、キロ、メガ、ギガ、テラと1000ずつ区切って数値が表されることはおなじみでしょうが、千テラが一ペタとなります。
さてグラフを詳しく見ていきましょう。IEAが設立されたオイルショックの時、家庭でも第三次産業でも、消費電力量は一年で数Mtoe程度でした。この頃には戦前からの電灯に加えて、冷蔵庫、洗濯機、掃除機、テレビといった家電の基本品は、一応出回っていたはずです。しかしオイルショック後も消費電力量は増え続けました。カラーテレビが白黒に取って変わり、一家庭に複数のテレビが購入されたり、何よりもエアコンの導入が一般化しました。これは日本のGDPの伸びとほぼ連動して、バブル崩壊まで続きます。消費電力量はここまでの四半世紀で、家庭でも第三次産業でもほぼ倍増し、十数Mtoeとなりました。
1990年がバブル崩壊の年と言われています。それ以来GDPはほぼ横ばいになりました。しかし消費電力量は横ばいにはなっていません。それ以前に増してとも見える増加が続きます。エネルギー消費とGDPはほぼ連動すると一般に考えられていますが、ここでは明らかにそれが崩れています。
さらに興味深い現象を見て取ることが出来ます。家庭より第三次産業での増加が著しく、21世紀に入るときには、第三次産業の消費電力量は家庭のそれを上回ってしまいました。バブル崩壊後に起きた現象です。このような現象は世界中をみてもとても特殊な現象であり、欧米諸国で一例もないのではないかと思います。失われた30年の初期にこれが起こったのです。失われた30年の大きな原因になっているのではないかと考えるのが普通の思索法では常識ではないでしょうか?
繰り返しますが前世紀末から今世紀初頭にかけて、消費電力量が劇的に増えたのは、日本だけの現象です。
家庭と第三次産業での電力消費は、明らかに建物内部で発生します。建物の中で消費が増えたのか、それとも消費が大きい建物が急増したのか?
建物の中でこの時期急増したもので考えられるのは、パソコンそしてそれに伴うインターネットでしょう。しかしこの変化は全世界的に見られることで、日本だけの現象を生まないでしょう。事実世紀の変わり目の約20年の間、消費電力量がこれほど増加したのは、私がIEAのデータを見た限り、日本だけの現象でした。
そうだとすれば、電力を爆食いする建物が急増したと考えるほかはありません。え、え、え、・・。
そう皆さん思いつくのではないでしょうか。1990年までの東京の写真があれば見てください。現在の東京と比べて明らかに異なっているでしょう。そうバブルが崩壊する以前の東京では、高層ビルをこれほど見ることはありませんでした。
考えるとバブルは土地バブルでした。東京の一等地に戦後すぐの建物が沢山有ると、土地が高値で売買されたのです。バブルがはじけても、東京の一等地を保有する地主達は、高い値段で得た土地に高価な投資を続けました。そうです。高層ビルをどんどん建てていったのです。その結果毎年新しい高層ビルが増加していき、それらのビルは貪欲に電力の爆食いを始めました。その結果年間消費電力量はどんどん増加していきました。
しかし高層ビル群は日本経済の繁栄を生み出すことはなかったのです。これが失われた30年の最初の十数年で起きたことです。そう見れば東京一極集中が失われた30年を生んだと考える方が、まっとうな考え方ではないでしょうか。日本は間違ったところにエネルギーを集中して投資してしまったのです。それが失われた30年を生みました。東京圏ではない地方に投資していれば、日本の経済停滞も少なくとも小さくて済み、少子高齢化も少なくともそれほど酷くはならなかったでしょう。少子化は日本よりも割合として首都圏集中が大きい韓国で、日本より酷いのです。エネルギー消費とGDPの関連は、今や疑うべき関連に過ぎませんが、少子化と大都市集中は、明らかに関連性があるのです。
日本のエネルギー消費とドイツのエネルギー消費を比較してみよう
日本では極度に電力の消費が多いことは、エネルギーについて考える時知っておいても良いでしょう。他国と消費傾向を比較するには、電力量消費だけ見ていると間違った印象を持ち得ますから、最終エネルギー消費全体で比べる必要があります。まず日本での最終エネルギー消費の推移を見てみましょう。

先に見たグラフはこの一部の電力量の消費を見ていたわけです。家庭と第三次産業では、電力量で見た消費急増がやはりそれが影響してエネルギー全体に見ることが出来るでしょう。ついでに工場での消費も追加しておきました。このグラフとドイツでのグラフを比べて見ます。

明らかにドイツでは日本で見られたエネルギー消費増加は、家庭でも第三次産業でも見えていません。90年代から始ったネット社会の影響は、家庭でも第三次産業でもエネルギー消費を大きく変えていないことになります。ドイツでも日本でもネット社会への移行は同程度であると思われますから、日本でのエネルギー消費の急増はネット社会への移行からは説明が出来ないことになります。
いくつか違ったポイントもありますね。日本では第三次産業のエネルギー消費が家庭のそれを世紀の変わり目の頃、上回ってしまいました。実は第三次産業のエネルギー消費が家庭を上回っているのは、日本特有の現象なのですね。第三次産業のエネルギー消費が異常に増大したのに、日本の経済停滞が始ったことは、日本の在り方を考える時重く受け止めないといけないでしょう。この急増は高層ビルによるものと分析しましたが、高層ビルはエネルギーの爆食いのために、持続可能社会から遠ざかるものとして考えなければいけないと思われます。
統計が始った1973年、ドイツでは家庭・第三次産業双方で、日本のエネルギー消費を上回っていました。これは単純に冬の暖房のせいと考えられます。言い換えればドイツのエネルギー消費は、過去半世紀を通して、冬の暖房の為に使われているということになります。日本は分散型社会から急速に東京一極集中へと社会を変えてきました。ドイツはそれに対して今でも分散型社会であり続けています。他のヨーロッパ諸国も日本ほど大都会に集中しているわけではありません。東京一極集中は、明らかに持続可能社会には不向きな形態であることを、日本人すべてが認識しないといけないのではないでしょうか。