データに見る東京一極集中の弊害-I

 東京一極集中の弊害は、様々な面に及んでいます。多くの人々に、これは東京一極集中の弊害じゃないかと感じられる事態がそれぞれあるかと思います。しかしそれを客観的に指摘するのは意外と難しく、結局東京一極集中が長い間続いてきました。このページを手始めとして続く複数のページで、様々の面から東京一極集中の弊害を、解りやすくデータを用いて、指摘していきたいと思います。

コロナ禍の最初の一年に、東京一極集中の弊害を見る

 すべての人に記憶が新しいコロナ禍。東京はコロナ禍に弱かったと感じておられる方も多いと思います。第八波まで続いたコロナ禍で、コロナ感染者総数は特に東京に多かっただろうと考える方も多いと思いますが、恐らくそれは違うと思われます。コロナ開けの直前コロナ禍の最終局面では、感染者数が初期に比べるすべもないほど増えました。そのころの私の記憶では、毎日発表される新規コロナ患者の数(PCR検査陽性者の数)は、都道府県別に見ると、それぞれの地域の人口とおおよそ比例しているように感じたものです。したがって都道府県別の感染経験者総数を、コロナ渦の期間を通じて見ると、恐らく人口にほぼ比例しているのでは無いかと思います。何故なら初期の感染者は、終盤の感染者に比べて統計的に無視できるほど小さく、全課程を通算してみると、初期の状況を全く反映していないからです。
 しかし一方皆様ご記憶のように、初期の致死率は非常に高いものでした。この死者数の多さが、コロナについて皆が恐れ、経済も大きく停滞する事態になったのです。パンデミックは初期が一番恐ろしい。そう考えてみると、初期の経験を正しく分析し、何度も未来に起こりうるパンデミックに備える必要があります。初期の感染者数の動向を見てみると、東京一極集中の弊害がよく見えてきます。初期には東京は確かにコロナに弱かったのです。

 上の図を見て下さい。2020年2月終盤から、次の年の3月終盤まで、全国と東京の新規感染者の推移を表したものです。生のデータはそれぞれ厚労省と東京都が毎日公表した感染者数を私が毎日取り入れた数値です。現代人の誰もが経験したことのないパンデミックにあたって、何が起こるのだろうと一科学者として興味を持ったから、一年間根気よくエクセルにデータを書き込みながら、分析を試行錯誤しておりました。
 生のデータは様々な要因による雑音が入り、長期の傾向を読み取ることはまず不可能です。そこで上記のグラフに使用した数値は、七日移動平均として割り出した数値です。上のグラフに使用した数値は2月25日から始りますが、これは2月22日から28日までの発表された新規感染者数をすべて足して七で割ったもので、以下同様に進みます。東京の感染者数は50ほどある全国都道府県の単なる一地方ですから、そのまま比べても意味がありません。そこで東京の新規感染者数を五倍にしたものを赤い線で示し、全国の数値(青線)と比べてあります。
 私も最初(五年前ですが)見つけて、びっくりしたものです。二つのグラフの形状が驚くほど一致しています。グラフから直ちに解ることは、東京での感染者が全国のそれの20%以上だったということです。五倍したら東京のほうがほとんどすべての日に、全国を越えているからすぐ解りますね。明らかに東京は初期に感染が広がりやすかったことになります。
 五十ほどある全国の分割区分である都道府県の、その中の一つに過ぎない東京が、五十分の一では無く五分の一を占めるのです。小学生でも思うでしょう。何故五十分の一ですむはずの一地方が、その十倍も感染者を出しているのと。もちろん人口集中度が違うと誰もが小学生に教えることができますが、明らかに東京一極集中は特殊なのですね。東京一極集中のおかげで人口比が違います。でも人口比を考えても十分の一に過ぎないのではないでしょうか。五分の一は明らかに東京は感染に弱かったと示すものでしょう。
 では形状がほとんど重なることはどう考えれば良いのでしょうか。
 それからはもっと重要な結論を引き出すことが出来ます。

東京で感染拡大が始ると全国に広まり、東京で収まるとき全国で収まった

第一波の分析

 全国と東京の感染増減の形状が、驚くほど似ていることは、素直に考えれば東京の感染状況が全国の感染状況を左右していることを暗示します。東京の人は嫌な解釈と思うかも知れません。何故なら地方から見ても、東京の人達が感染に対して著しく警戒していたことは間違いないし、東京都民もそう思っているに違いありません。しかしデータはデータです。感情でものを考えてはいけません。
 東京と全国の感染のこの類似性は、記憶をたどれば第二波にあるとき私は気付きました。そのデータを見せて東京(正確には首都圏)の知人に伝えたところ、彼は東京が原因なら全国の増減は東京のそれと時間がずれて遅れるはずだと言いました。何やら誰それの法則なんだそうで、何か頭の固い高校の先生みたいだと思ったものです(高校の先生に失礼)。首都圏に本社を持つある企業の研究員だった人ですが。
 でも彼は正直な人です。東京の人はこれだけ頑張る東京が原因であるはずがないと思いたがっているでしょうから。それが人情です。でも東京一極集中の恩恵を受けている東京人という意識は持って貰わなければいけません。東京一極集中に苦労している地方人も数多くいるのですから。その地方人の数は東京人の数を単純に見て上回っています。


 そこで因果関係を調べるために、東京の新規感染者数が全国の何%になっているのか、計算しプロットして見ました。上の図の青い線で表してあります。ここでも数値は七日移動平均を使っています。比較のために最初の図で使った東京の新規感染者数を、適度なスケールをかけて赤線で示してあります。
 時間を追ってみていきます。二月終わりには、東京の感染者数は全国の10%ほどでした。これはちょうど人口の比程度になっています。しかしまだ絶対数が少なく、これこそ偶然の一致とも言えそうです。
 三月に入って急に比が増加し始め、それがしばらく続いて全国の半分を占めるほどになります。これは東京で感染が広がっていったことを示し、事実東京の感染者数を見るとその時期明らかに増加を始めています。東京(都)で半分を占めるのですから、道府県でそれを越える地方は無かったことは明らかです。全国の半分になるまで増加したすぐその後、急激に比は減少し始め30%程度にまで落ちています。しかしその時期にも東京の感染者数は増加しているのですから、母数として全国の感染者が急上昇に変わったことは明らかです。
 ここまでの経緯は東京の感染者が急に増加し始め、それを受けて全国の感染者増加が引き起こされたと考えるべきでしょう。確かに間違いなく、東京の感染者増が先で、それに続いて全国の感染者が増加しました。誰それの法則に従っています。
 30%にまで下がったちょうどそのころ、東京の感染者数はピークを越えたと図から判断できます。しかしその後です。感染者の比率が30%でしばらく推移します。これは東京の感染者が減少するに伴い、全国の感染者が減少していることを表します。この解釈が、最初のグラフを通じて、東京の感染者と全国の感染者の増減が、恐ろしいまで類似していることを解釈するヒントになりますが、それは後ほど考察しましょう。
 このような経過が第一波に見られるのですが、第一波の終盤に少し異常が見られます。感染者数の推移をご覧ください。赤で示した東京の感染者数のカーブでの第一波の終盤に、4月25日直後に減少しつつある感染者数が、一時明らかに増加したことを見ることができます。全国のカーブにはそれはほとんど見えません。時期的にこれは春の大型連休時で、コロナ禍始まって以後の初めての連休でした。テレビでは連日東京都知事がステイホームを繰り返し言っていた時期です。しかし皮肉なことに全国では増加はなかったのに、東京では増加したことを示しています。東京が感染に弱かったことを、明らかに示しています。
 以上第一波で起きたことです。この頃はコロナ患者の致死率が非常に高かったのです。東京にいたおかげで感染し、死亡した人も多かったことになります。また地方に住んでいた人も、東京の感染増加に伴って地方も感染者が増えました。これは東京一極集中の弊害と言っていいでしょう。

第二波の分析


 第二波でも東京の感染者数は全国に対する割合も大きく、また全国に与える影響も大きかったことを見ることができます。五月の連休後、第一波は収まりました。東京の感染者の割合も一時20%を切りました。しかし二十日を過ぎるころその値がまた急上昇を始めます。再び東京での感染拡大が始まったのです。六月に入って東京の新規感染者は全国の半数を超え、六月前半から七月にかけてひと月以上、東京の割合が60%を前後します。この期間ずっと東京の感染者数は増加を続けます。そして七月中旬に、東京の割合が下降し始めます。母数が増え始めたのです。全国の感染拡大がその速さを増し始めました。東京の感染拡大が引き金になって、全国の感染拡大が引き起こされたのです。そして東京の感染がピークを越えるとほぼ同時に、全国もピークを越えたことが、上に示した二つの図を比べると明らかにわかります。
 第二波でも東京で感染拡大が起こった後しばらくして、全国に感染拡大が広がり、東京でのピーク越えとほぼ同時に、全国のピークも超えました。第一波と全く同じような展開をしたのです。
 第二波でも第一波同様、東京のピーク越えとほぼ同時に、全国のピーク越えが現れました。何故このような現象が起こるのか、関西の三府県と、二つの地方の感染状況を分析した後、考察を行います。

各地方ではそれぞれ拡大縮小図の形状が異なる

 これまで東京の感染拡大縮小図と、全国のそれの形状が非常によく似ていることを見てきました。しかし地方を見ると完全な類似性は見当たらないことをこれから見ていきましょう。


大阪と東京の比較

 まず東京と大阪を比較してみましょう。東京が大阪よりもかなり感染者が、この時期を通じて多いので、東京の値を1/3にして比べて見ます。下の図で見て下さい。

 第一波は大筋ではそれなりに似ていますが、第二波・第三波はかなり異なっています。特に第三波は確実に違っています。
 これを見ると第三波は大阪で始まったと言えそうです。しかし大阪では一応収まる気配がありました。しかし大阪のピーク時に東京に飛び火し、東京ではさらに増加が続いたので、大阪もそして全国も東京の形状に近い形で第三波がピークに至り、そのピークは東京が収まるとほぼ同時に収まっていったと見えます。大阪は引き金とはなったけれども、ピークを全国規模で牽引はしなかったことになります。一方東京は大阪の引き金を受け継いで感染拡大に転じ、その感染拡大を全国に広めました。

関西三府県の推移

 大阪の影響は関西で大きいと考えられます。そこで大阪都市圏と考え得る大阪府、兵庫県、京都府の感染者の動向を下の図に示します。今までの図と同様七日移動平均を使っていますが、スケールはそのままにしてあります。大阪の影響はあるでしょうが、例えば大阪では一度終息に向かったと見える第三波の形状は、両府県ともにそれほどはっきりしているわけではありません。

和歌山県と富山県ー地方の例としてー

 最後に地方の例として和歌山県と富山県の推移を示します。最初の一年間、地方では感染は都会ほど酷くなく、連日新規感染者ゼロなどという期間も多くの地方で見られたことを忘れてはいけません。そのため下の図では、移動平均などの手を加えていない生のデータを、七日移動平均の値と共に示してあります。
 両県とも全国の第一波から第三波で感染者数は多くなりますが、ピークの高さなどそれぞれ異なっており、東京の形状にそれほど一致しているわけではありません。それよりも両県とも感染者が出ても素早く減少してゼロになるケースが散見されることに注目して下さい。明らかに大都会を擁していない県では、コロナの感染は初期にはすくなく、またその地方の力で感染拡大を抑えていた状況が良くわかるのではないでしょうか。

何故全国の感染ピークが東京のピークとほぼ同時であったのか

 ここまで見てきたことは、最初の一年間(第一波~第三波まで)には、全国の感染拡大が東京の影響を大きく受けていることを見てきました。第一波と第二波は東京で起こり、それが全国に広まりました。また第三波は大阪が引き金になったが、東京が全国拡大を引き起こしたことを見ました。
 しかし一つの疑問が残るでしょう。何故収束開始(ピーク越え)に関しては東京と全国でほぼ同時に起こったのか。
 その説明は二つの要因を挙げておきます。
 ここでは東京都発表のデータを使ってきました。しかし東京は都だけでは無く、近隣に千葉埼玉神奈川を擁する首都圏を形成しています。総務省の統計によると東京都市圏の人口は三千八百万人に上るそうです。東京都の人口は千四百万人程度です。東京首都圏の感染者の推移は、恐らく東京と同様な推移を行い、また全国に対する割合は全期間を通じて50%程度にはなるでしょう。
 もう一つは和歌山富山のデータが参考になります。
 地方では感染者がゼロになることが多かったのです。そこに感染者が出たら、これまでの考察からまず東京の影響を考えなければならないことが想定できます。そして地方ではその感染は素早く収まっておりました。
 コロナ禍にあっても、日本ではロックアウトを取ることは出来ず、一定の交流がありました。ウィルスを受菌して発症するには短いながらも時間がかかります。
 その交流のため、ある日の東京でのウイルス新規受菌者の中で、その感染が全国に散らばる地方で発見される新規感染者の総数は、東京で発見された新規感染者数とほぼ比例するでしょう。しかし各地方で見るとその新規感染者は最初の一年ではまだ少ない。少ない数では統計法則に従いません。こうして各地方の感染の動向は、東京の形状とかなり違って見える。しかし40以上ある地方の県すべてで感染者数の総和を取れば、統計法則に従う人数となり得ます。また各地方では感染は素早く収束した。したがってそれぞれの地方では感染の動向は東京と違って見えたが、全国で見ると東京の形状がそのまま全国に反映しました。
 このような統計は、量子物理学を学んだ物理学者には、とても身近なものです。原子や原子核の世界では、粒子がある場所で見つかることを正確に予言することは出来ません。粒子が見つかる確率だけが予言できます。
 例えば水素原子の中の電子を考えましょう。高校までの物理や化学では、電子が陽子の廻りを廻っていると習います。しかし正確にはそれは間違いです。例えば水素原子が一番安定した状態にあるとしましょう。基底状態と呼ばれます。電子は決まった軌道上で見つかるのではなく、ある確率分布にしたがって見つかるのです。
 電子は水素原子の中に一個だけです。この電子を水素原子の中で探す実験を行うとします。一回の実験で電子が見つかったとしましょう。それは水素原子の中のどの位置で見つかるか? 高校までの話では、軌道上で見つかるはずです。少なくとも基底状態では、陽子との距離は決まっているはずです。
 この位置を予言するのは不可能だと量子理論は教えます。原子核である陽子の近くでしょう。でもどれだけ近いか?それを予言するのは不可能です。ただ陽子に近い場所で見つかる確率は高く、陽子から離れるほど確率が低くなります。決まった距離を持つ軌道の上ではないのです。
 この実験を数十回ほど繰り返したとしましょう。その場合電子が見つかる場所はバラバラです。中心付近に多いでしょうが、バラバラのまだら模様になっているでしょう。仮に五十回見つける実験を、更に五十回繰り返したとしましょう。そうするとまだら模様が五十枚得られますが、どの二つを比べても似ていないでしょう。
 この五十枚を重ねてみます。つまり二千五百回電子を探したことになります。そうすると見つかった電子の分布が明確になり、電子が見つかった場所の濃淡がかなりはっきりしてくるでしょう。そしてその濃淡は、量子論の開拓者の一人であるシュレディンガーが最初に彼の名をつけて呼ばれる方程式を解いて得られる、電子が見つかる確率を表す濃淡にピッタリ一致することが見えてくるでしょう。実験を繰り返せば繰り返すほど、分布はシュレディンガーと他の量子理論開拓者達が見つけた分布に近づいて行きます。
 東京と全国の感染者の動向が類似しているが、それぞれの地方の動向は異なって見えることから、逆に東京が感染源であるという発想は、こうして量子力学の法則から連想されるものです。東京が全国の感染者動向の理論値を与える。水素の中の電子に見られる分布がシュレディンガーの理論値で示されると同様に。私はこう最初に思ったのです。日本が東京一極集中であるが故に、東京と全国の感染者の動向が同じとなる。恐らくしっかりしたデータを公表している先進民主主義国家で、ある都市と全国の感染者動向が同じである国は、日本以外にないでしょう。先進諸国で一都市一極集中の国は日本以外にないのですから。
 コロナ禍は21世紀の性格を決定した要因として、二十一世紀を記述するときの歴史に残るだろう事件です。
 21世紀初頭様々な事件が起こりました。まず最初にアメリカへの同時多発テロが起こりました。二十一世紀の始まりを象徴する、全世界を震撼させた事件でした。十年後日本では東日本大震災が起こり、それに伴って福島原発事故が起きました。これも全世界を震撼させた事件でした。
 しかしながら、この二つの事件は、全世界を震撼させたとはいえ、それぞれはアメリカと日本という一国家に降ってきた事件でした。二十世紀後半にアメリカを最重視してきた日本から見て、無条件に世界的な重大事件でしたが、それにたいして2020年に起こったコロナ禍は、明らかに全世界に降りかかった災禍でした。グローバル化された21世紀に、パンデミックという世界中の人達に襲いかかる災禍を、否応なしに全世界に示したのです。可哀想だが他国のことだという見方は、どの国も取ることは出来なかったのです。パンデミックはスペイン風邪などの過去の例もあるというような指摘もコロナ禍の初期にありましたし、それは正しい指摘ではあると思いますが、20世紀を通じて世界の交通網が19世紀と比べものにならないほど発展した現代社会に与える影響は、過去のパンデミックと比べるべくもないと、少し歴史を考えると誰にでも解るでしょう。
 震災は忘れた頃にやってくる。明治の物理学者寺田寅彦の名言です。東日本大震災の時に思い起こされました。地震は人間の活動と関係ない自然現象です。日本は千年以上の歴史を通じてそれを乗り越えるすべを身につけてきました。
 パンデミックは天災でもあり、人災でもあります。グローバル化が創りだした負の成果であり、その意味では人災ですが、歴史を通じてパンデミックは生じてきたことを考えると、天災でもあります。忘れた頃に繰り返しやってくるでしょう。これからの日本を考える時、地震を生活の一部に取り入れた我々の先祖達のように、パンデミックを日本人の生活の一部として取り入れて、これからの社会を築いて行かなければなりません。
 そのためにはコロナ禍の教訓をしっかりと取り入れなければなりません。
 日本では都市のロックアウトはせずに、「自粛」という形でコロナ禍を乗り越えました。それは結果的に見て成功したと思います。しかしそれでも最初の一年に相応の感染者を出し、死者も多く出ました。
 日本が数千万の都市を中心とする国では無く、せいぜい百万、二百万の都市が全国に散らばる形で数多くある国だったとしましょう。明らかに各都市の中では感染者が広がりにくかったでしょう。そして全国に感染を広げる町も特別あるわけでも無く、初期の感染者は大きく押さえられたでしょう。
 地震に備えて東京一極集中の是正をとよく言われます。しかし未来のパンデミックに対しても東京一極集中を是正しなければいけないのではないでしょうか。地震での東京での被害は、全国に広まるわけではありません。しかしパンデミックの被害は、現在の東京が全国に被害を与えたことを示していることを、この論考では明らかにしました。それをしっかりと理解していただければと思います。