脱東京一極集中

 2024年東京都知事選挙で旋風が吹き、意外なことに最初は注目もされなかった石丸伸二さんが、蓮舫さんを押さえて2位に躍進されました。SNSで詳しく調べた訳ではありませんが、私は石丸さんに希望を感じました。都知事選でありながら、東京一極集中を問題にされたのです。それこそ断片的な言葉でしか聞いていませんが、日本を変えたいという思いは言葉の端々に伝わってきました。選挙期間中議論を恐れて、公務を理由に選挙活動を逃げ回り、選挙後に単なるスローガンでしかない東京を世界一にするという、いかにも軽い当選者の表現と、重みが全く異なると感じて聞き惚れました。
 東京一極集中は安倍さんが主導した省庁地方移転でも、崩すことが出来なかったものです。若い石丸さんが、これからも活躍をされて、多くの若い人たちを考えさせ、日本の未来のために若い人たちが率先して地方移住をすすめる、そして衰退に悩む日本の多くの地方が、それぞれの地域の良さを再発見し、若い人たちが移住できるように準備する、そういう流れのきっかけに2024年の都知事選がなってくれるのではないか、そのように考えています。石丸さんの若さを考えると、石丸さんの直接の影響を受ける人たちの活躍する期間は半世紀以上の時間があります。それだけあれば東京一極集中を脱皮し、失われた時代を脱し、日本を、いや日本だけではなく日本の伝統を参考にする世界を、持続可能社会に導くことも十分可能でしょう。
 日本の若い人たちも希望を持って良いのです。若い皆さんがしっかり自分で考え、行動することで未来は開けるでしょう。この論考では、東京一極集中が日本の危機を創り出していることを、論じたいと思います。

当NPO法人が目指すこと

 NPO法人千年文化を考える会の第一の目的は、これからも千年規模で栄える持続可能社会として、日本をどのような国家にしていくべきかを考えることです。
 そのためには何が必要なのかを、長い間考えてきました。出発点はエネルギーです。持続可能社会には、脱炭素が必要です。脱炭素とは平たく言えばCO2排出をゼロにすることです。なぜCO2が排出されるのかを簡潔に言えば、化石燃料(石炭、石油、天然ガス)を消費するからです。
 化石燃料の大量消費は産業革命で始まりました。産業革命以来の伝統を基本から検証しなければ脱炭素ができないことは明らかです。それには産業革命以来続いた「現代の常識」を根底から見直す作業も必要でしょう。
 しかし現代日本にはそこまで真剣に考える風潮は見当たりません。残念なことですが。東京の新しい家屋にソーラーパネルを取り付けることを義務化するということの是非が、まじめに賛否両論から取り上げられます。しかし東京でのエネルギー消費の大きさに対して、どれだけの大きさを持つかという効果を考えた議論はありません。エネルギーを少し調べると、それは全く効果がないことはすぐわかるのですが。効果がない以上、東京でたたかわされている議論は全く意味がない議論となります。もっと本質的な議論をしなければ。
 何故こうなるのか? 日本は今大変な危機に襲われているからでしょう。少子高齢化、失われた30年と言われる経済停滞。東京で繰り返される選挙での各種事件に表れる民主主義の危機。そのような諸問題の中で、持続社会創生に対する議論の優先順位は高くない、そう思う人も多いでしょう。政治屋はそのような一つ一つの課題に「真剣に対処してまいります」と言って、自分の「政治的」優位性を保とうとします。一つ一つの課題ではなく、根本的な問題を見つけて解決する態度がなければ、歴史の危機に対応できません。そして危機の時代の民衆は、あるいは一般大衆はといってもいいですが、一つ一つの問題ではなく、自分をそして隣人をあるいは子供たちを、困難から少しでも避けさせたいと、政治に期待をするのです。
 一方で今の日本では選挙での規制強化は簡単に議論に上がります。つまり一つ一つの問題が、また一つ増えるのです。何故そのような問題が起こったのかは、誰も議論しません。何でこんなことになったんや? そんな疑問昔はよく聞きましたが、現在誰もそのような疑問を発しません。

脱東京一極集中が今求められている

 これらの問題を解決するために必要な共通する鍵があるのじゃないかと言えば、皆さん驚かれるでしょうか? その鍵は「脱東京一極集中」です。なぜなら東京一極集中が、上記様々な問題を、少なくとも加速したことは、少し調べ、また少し素直に考えれば明らかです。そのあらすじをこの論考では示したいと思います。詳しくは個々の論考で論じます。

集中した大都市は、持続可能ではない

 日本の首都圏東京は世界一です。選挙中ひたすら逃げ回っていた小池百合子氏が、選挙後にこそこそ出てきて、東京を世界一にすると言っていましたが、皮肉なことにすでに世界一になっているのです。百合子ハンそれも知らんくて、よう知事になれましたな。知事って知ってる事と書くけど、知ってる人ってじゃないと、地方のトップになれないよね? 子供から聞かれたら何と答える? だって子供の私でも知ってる事はあるものって。
 では何が世界一なのか? 簡単です。人口です。東京圏の人口は東京都、千葉県、埼玉県、神奈川県を合わせると4000万人近くになります。日本の人口の三分の一にも届こうという数字です。G7の中で、このような大規模に集中した都市圏は他に皆無です。
 狭い地域に人がひしめきあっている。そのような構造は持続的ではありません。何故なら100万人を軽く超えるような人口集中は、化石燃料を大量に消費し始めて起こった現象です。それは歴史を少し調べると解ります。化石燃料とはすなわち地上で限りある集中したエネルギー源です。それが有限であると知っているからこそ、20世紀の科学者達は原子の力に大きな期待を寄せました。原子の力とは、正確に言えば原子核が反応するときに生まれる莫大なエネルギーのことです。化石燃料が化学反応によってエネルギーを放出するのに対し、原子の力は原子核反応が放出するエネルギーを使います。ヨーロッパ近代の夢の延長の最終段階と思われるのが20世紀でした。それは必然的に原子力を生んだのです。核反応は化学反応に比べて、桁違いに大きなエネrぎーを放出します。原爆の恐ろしさが、それを如実に表しています。
 核反応でのエネルギー放出は次の二種類しかありません。核分裂反応と核融合反応です。
 核分裂反応を利用しているのが原発です。では原発が化石燃料を代替しているでしょうか? あるいはその可能性はあるのでしょうか? 答えはノーです。IEAが公表しているデータを見ると、世界中で見て、原発が提供する電気は、全人類が消費しているエネルギーの2%にしか過ぎないのですから。これほど危険な上に貢献度も低い原発のエネルギーに頼る未来社会というのは、単なる幻想にしか過ぎないことは明らかでしょう。
 核融合反応は、長い間期待されてきました。しかし結果が出るに遅すぎる。そして原発が2%しか供給しない現状から見て、核融合が化石燃料に取って代わるのは、夢のまたゆめでしかないでしょう。科学の進歩がエネルギーを創り出すというのは、幻想に過ぎない時代がやってきたのです。何故ならエネルギーは本来創り出せません。エネルギー保存則が厳密に成り立つ法則であることは、物理学者のすべてが知っていることです。繰り返しますが、エネルギーを創り出せはしません。エネルギー保存則はそう言っているのです。

化石燃料以外のエネルギー源は、再生可能エネルギーしかない

 原子のエネルギーを大量に期待することは出来ない。そう考えると人類は破滅に向かって化石燃料社会を続けるか、それとも真剣に再生可能エネルギーに頼る社会を作るか以外の選択肢はありません。
 何故化石燃料社会を続けるのが破滅に向かうのかって? 単純です。化石燃料は間違いなく有限だからです。有限とは言ってもまだまだ大量にあるかも知れません。でもいつかはなくなります。そして何よりも、掘りやすい場所からの化石燃料は早晩少なくなり、掘りにくい化石燃料に頼る時代がくるということです。掘りにくければ当然高価になる。つまり化石燃料がそして化石燃料を燃して発電する電気が、格段と高価になることを意味します。そして原発を含めた大量エネルギー消費が、気候変動を生んでいることはもはや疑いようもありません。エネルギー価格高騰と、激化する気候変動。じわじわと人類を苦しめ破滅に導くでしょう。
 それを避ける為には、再生可能エネルギーに支えられた社会に、社会を生まれ変わらせることしかありません。それは東京に人口を集中させては、決して出来ないことなのです。言い換えれば東京一極集中が、日本を持続可能社会に変えることを阻み、日本をじわじわと破滅に導くのです。

 何故東京一極集中では持続可能に出来ないか? それも簡単です。持続可能エネルギーの真のエネルギー源、それはほとんどが太陽エネルギーであるからです。風や雨などの気象現象、それらがエネルギーを伴っており、それが持続可能エネルギーとなるのですが、明らかにそれらのエネルギーは極度に集中はしていません。それは当然です。太陽エネルギーは莫大な量なのですが、地球全体に広く分散して降り注ぐからです。
 持続可能エネルギーは、集中せず分散して世界中に広がっているのです。その中で生活する人々の暮らし。それは適度に分散された、中小規模の都市圏の周りで、食料とエネルギーを、環境から必要なだけもらい受ける、そのような構図の社会になるでしょう。そしてこれらの中小都市は、エネルギー消費が少ない鉄道か、または船舶で便利に結ばれている社会です。むやみやたらにエネルギーを爆食いする自動車は、鉄道や船舶の補助をするだけの役割に変わってしまうでしょう。

東京一極集中が失われた30年を生んだ

 東京一極集中が失われた30年を生みました。そう言うと多くの人が何と馬鹿なことをと思うでしょう。ですが次のような歴史的事実を直視すれば、それは明らかです。
バブルがはじけた後、日本経済は停滞期に入りました。バブルって何だっけ? そう思う若い人たちも多いでしょう。仕方ありません。バブルがはじけてすでに30年以上が経ちました。
 バブルの後東京で何が起こったか? 高層ビル建築ラッシュです。バブルというのは不動産バブルでした。一等地でありながら古い建築物が立ち並ぶような土地を、高い値段で取引したのが、バブルという現象を生みました。バブルははじけました。そして何が残ったか? 高い金で買った土地が残りました。そこに高層ビルを建て、大きな収入を得ようと土地を持ったあるいは買った人たちは投資をしました。高層ビルによって、東京に更なる人口吸収能力が生まれました。東京では経済が発展し続けているように見え、一方地方は衰退しました。そして日本経済は東京の発展と地方の衰退を足して、ゼロになるといういびつな格好で、失われた時代に入り、それから抜け出せないでいます。
 私はエネルギー消費について過去50年間を通じて調べていてこれを発見し、唖然としました。家庭と第三次産業で消費する電気を年ごとに見ていきますと、前世紀1973年のオイルショックから国際的に正式に細かく取られるようになったデータでは、20世紀最後の年になるまでその消費は急増が続き、家庭でも第三次産業でも、2000年の電力消費高は、1990年の電力消費高の二倍に達しているのです。このような現象は他のG7諸国には見ることが出来ません。この時期は東京での高層ビル群の初期の完成時と重なります。これは東京に人口を集中しても、日本経済は成長しないという事実を、30年にわたって証明してきたのだと、解釈するのが自然だと思われます。

典型的な地域分散型の国家にGDPで追い抜かれた

 東京一極集中の経済の脆弱さを、2024年まざまざと思い知るニュースがありました。それまでGDPで世界第三位をもって、かろうじてまだ経済大国と信じていた日本を、ドイツが静かに追い抜いていったのです。日本のメディアはほとんど取り上げず、静かに追い抜かれたままでしたが。同じ敗戦国であり、国民の勤勉さで戦後驚異的な成長を遂げてきた、よく似た両国の違いを、東京を中心とするメディアは理解できなかったのでしょう。両国に決定的な違いはあるのでしょうか? 何故経済成長でドイツに負けたのだと、不思議に思わない人はいないのじゃないでしょうか。東京に集中するメディアはそれに答えようともしません。昔中国にGDPで抜かれたときは、答えは単純にわかりました。人口が一桁違うのです。しかし今度はそうはいかない。日本の人口の一億二千万人に対してドイツは八千五百万人。
 ドイツには東京のような地方を収奪する都会はない。それが決定的な違いです。ドイツは典型的な分散型社会です。人口50万に満たない都市があちこちにあり、それぞれが鉄道で結ばれ、特徴を持って輝いています。それぞれの町がそれぞれの歴史を持ち、そして町の特質を持ってつまり多様性をもって互いに栄えている。八千五百万の人々がそれぞれ活躍できています。一方日本では東京圏の四百万に比べて、残りの八千万が十分な活躍の場を与えられていない現状です。活躍できていない地方の人が、全ドイツの人数と同じほどいるのです。日本は人口が減ったから経済が伸びないと発信する人達がいますが、三分の二が活躍出来ない状況になっているから、経済が伸びないと考えるべきではないでしょうか?
 こう考えると国本来の姿を今のドイツに見る思いがします。歴史も経済基盤も文化さえも異なった多様な地方の集合体として国がある。多様だからこそ持続する。考えてみれば日本も長い歴史の中で、同様な形態の国家でした。京都が千年の都であり続けたのも、各地に他のそれぞれ特色ある町と交流を持ち、互いに栄えていたからに他ならないでしょう。持続的な繁栄の道、それは地方分散型であることを、日本の歴史も、現代の日独の差も、教えてくれているのではないでしょうか? 東京一極集中は、戦後高度経済成長期に急激に進められ、失われた30年に突入しても未だに止める策が解らないくらいに、進んできた異常な現象なのですから。そして更に異常なことは、国民の多くが東京一極集中を異常と認識できていないことです。

日本より首都集中が著しい韓国

 韓国は日本より首都圏人口集中が著しいそうです。ソウル圏には韓国の人口の約半分が集中しているとか。そして少子高齢化問題は、日本より深刻なのだとも。出生率が日本より低いのです。そういえば東京の出生率が1を切ったと、東京都知事選でも問題になっていました。大都市圏では、出生率が下がることを示唆しています。
 私は6年前、東京での職を退職し、京都に移り住みました。明らかに感じることがあります。自宅近くを歩いていて子供が多いのです。そして近くのショッピングモールは、週末には子供を連れた大人達で大変賑わいます。こども二人連れも、子供三人連れさえもよく見かけます。これは京都だけの現象ではないようです。地方都市に行くとどこででも見られる光景です。少子高齢化の抜本的解決法が、東京一極集中打破にあるのではないでしょうか?
 選挙が終わって東京のメディアに散々たたかれている石丸さんには、地方から見て心の中で拍手を送っている人がずっと多いのじゃないかと思います。それほど地方は疲弊しています。地方に住むジジイの目から見ると、集中しすぎて多様性を失った東京メディアが、東京では聞きなれぬ発想をする若者を見て、日本の中でオピニオンリーダーであると、長い間(とは言ってもたかだか数十年ですが)思ってきた自分たちの立場を守るために、異質なものを排除しようとしているとしか見えません。
 石丸現象は地方から見ても異常です。しかし異常なのは石丸さんなのかそれとも東京のメディアなのか、東京人を含めてすべての日本人がそれを考えてみる必要があるのではないでしょうか? 私から見て石丸さんは異質かもしれないが異常では全くないように見えます。発想は異質かもしれないが異常では全くない。考えて発言をしている。異質を叩いてはいけません。異質は異質として容認し、そして尊敬する、有限な地球の上で異質な国々を共存させる柱の一つであることは間違いないからです。
 東京メディアの日本全体から見ての異質さ(あるいはほとんどの異常さ)に気づく人が多く出れば、多くの人から見て異質とも見える石丸さんとしては大きな政治的効果を、そのごく初期から政治家として上げてきたことを、歴史が評価するのではないでしょうか? 東京メディアは異質ながらも歴史的役割は持ちました。しかしそのまま続くと異常になるし、今まさに異常になりつつあります。
 多くの日本人が小池百合子氏の政治活動の初期の成果に、クールビズがあると思っているでしょう。それは決定的な間違いであることは、クールビズが唱えられる前後の電力消費を調べればすぐわかります。すなわちできるだけ正確なデータを分析するであろうのちの時代の歴史家の目で見てわかります。なぜか? 簡単です。信頼置ける統計で見てクールビズの前後で電力消費に顕著な差を見つけることはできないからです。
 これだけを見ても明らかに、東京メディアは間違った印象を日本人に植え付けています。そして現知事は歴史をも必要ならば身を挺しても変える政治家ではなく、スローガンに頼った明らかな政治屋ということがわかります。議論を戦わすべき選挙において、議論を避けて「公務」という日常に逃げてしまった一人の政治屋に、東京都民はどう見ても異常な出来事が様々に多発した異常な都知事選で、第三期目を与える選択をしたのです。東京都民は危機において、東京都の日常に逃げた、もはや首都とは言えぬ行動を自ら行ったとも言えます。
 掛け声だけのスローガンでは、日本は少しも変わらない。それを理解することが、失われた30年を脱するために必要なのではないかと愚考いたします。