京都にLRTを

 令和7年になって、京都にLRTをという動きが高まってきました。それを報道でご覧になった方も多くおられると思います。
 京都にLRTを導入するというのは、私の長年の目標でした。何故LRTなのか? それは千年続く未来の京都の交通基盤が電車であるためです。これをこのページで認識して頂きたいと思います。

自動車の世紀だった20世紀


 自動車は20世紀になって急速に広がりました。それはそれで歴史的価値はありました。多くの人が移動を享受できるようになったのです。人々の活動範囲が広がりました。生活が豊かになりました。世紀が変わってもやはり自動車だと思うかも知れません。しかし自動車は20世紀の産物です。21世紀にそのまま続くと考えるのはちょっと止めてみませんか。
 19世紀の花形交通機関は蒸気機関車でした。世紀が変わり電気機関車が通用するようになって、急速に衰え今は希少価値となりました。それには理由があります。蒸気機関はものすごくエネルギー変換効率が悪いエンジンであるのに対して、電動モーターは電気エネルギーをほぼ無駄なくエンジンのエネルギーに変える、エネルギー効率が良いエンジンなのです。蒸気機関車から電気機関車ー鉄道上での大きな転換です。この延長上に電車があります。
 一方自動車は石油があって初めて成立する乗り物でした。電気は石油と共に20世紀を牽引したエネルギーでした。しかし電気は自動車には難しいエネルギーでした。皆さんご存じですか? EVを発明した人の名を。多くの人は意外と思うかも知れませんが、トーマス・エジソンです。モーターと電池を使って自動車を走らせようとしました。しかしうまくいきませんでした。単純に電池が重すぎたのです。エジソンから百年遅れて、やっと人々はEVを実用化しました。それはリチウムイオン電池という重量が軽い電池が実用化されたからです。しかしそれでもなお日本ではEVは普及しているとは言いがたい状況です。やはり自動車には石油がぴったりだったのです。液体だから短時間で給油できます。これが理由です。
 産業革命以来、移動手段は著しく改善しました。産業革命以前には、移動手段は人と馬でした。水路があれば船も使われました。しかし産業革命以来、最初に普及した移動手段は前述のように蒸気機関車でした。蒸気で走る機関車。今ではノスタルジックに残されている蒸気機関車は、それこそ産業革命を象徴する乗り物でした。
 蒸気機関車は蒸気機関で動きます。恐ろしく効率が悪い熱機関で、石炭を燃したエネルギーで動くのですが、その時代面白いことに蒸気自動車は作れませんでした。恐らく試した人はいるでしょうが、エジソンのEVと同じように実用化されませんでした。事実太平洋戦争の時代、石油が庶民に手に入らなくなって、石炭や木炭からの蒸気で自動車を走らせようと、多くの人が試したそうです。事実その時代の人からの証言です。しかしそれは出来なかった。自動車を動かすには、石油が理想的だったのです。それだけ自動車は莫大なエネルギーを使うと言うことです。
 以上の考察で産業革命以来発展した交通手段が持つ二つの要因が明らかになります。蒸気機関車は蒸気機関を使うと同時に、鉄道を使っています。一方自動車はガソリンエンジンを使う一方、通常の道路の上を走ります。このように乗り物には二種類の選択肢があります。その一つは「エンジン」もう一つは「路」です。蒸気機関は「エンジン」つまりエネルギーを移動の力に変える装置、そして鉄道と道路という選択肢は、乗り物を移動させる「路」になります。「エンジン」と「路」その双方が産業革命以降、交通が従来から見て革命的に変化する要因だったということです。

何故電車が理想的な乗り物なのか?


 ちょっと解りにくくなってきたと思うかも知れません。でもこの先は簡単です。
 エンジンは上記の説明で三つ出てきました。蒸気機関、ガソリンエンジン、そして電気すなわちモーターです。また道は道路と鉄路。
 産業革命の時代と今の時代は決定的に違います。それは産業革命時代は、ひたすら発展を考えれば良かったが、これからは持続を考えなければならないのです。
 持続を考えれば、少ないエネルギーで大量運送が出来る組み合わせを考えないといけません。「エンジン」で一番消費エネルギーが少なく、出力が大きいのは電動モーターです。そして「路」でエネルギーを一番少なく移動できるのは鉄道です。つまりモーターで鉄道の上を走るのが一番エネルギーを減らすことが出来ます。だから電車なのです。だから持続社会で重要なのは電車だということになります。
 事実統計を見れば、日本の交通で消費されるエネルギーはもちろん多大なものになりますが、エネルギーで見れば98%が石油製品です。残り2%が電気です。また別の分類の統計もあって、「路」で分けてみる統計もあります。それは道路、国内航路、国内空路、鉄路の分け方ですが、鉄路での消費エネルギーがやはり2%になっています。つまり電車が消費するエネルギーは様々な交通手段が消費するエネルギーのわずか2%になっているのです。つまり電気機関車を含めて電車のエネルギー消費は、交通に使われるエネルギーの2%であるのです。これだけ頻繁に新幹線が走り、都会では通勤電車が走っているのに、このように消費が少ないのです。また忘れてはいけませんが、物流大国日本を下支えしている物流では、電気機関車が非常に大きな役割をしています。
 電気機関車が貨物列車を牽引するのを見る機会があればよく観察してみて下さい。一台の電気機関車で、どれだけ多くの貨車が引かれているかを。電動モーターと鉄道の威力をまざまざと見ることが出来るでしょう。
 省エネの為にEVをという時代は、皮肉なことにEV普及もせず終わってしまいました。今の標語は脱炭素です。化石燃料消費を基本的に止めようという標語です。これって相当難しいことですが、実行しなければ人類の未来は暗いものになるでしょう。脱炭素の時代に「EVに変えれば良いだろう」はもはや通用しません。電車を交通手段の根幹に、そして全世代が徒歩で楽しめる町、自転車が便利な町、EVはそれを補完する町という捉えかたが、それぞれの町の事情に応じてまちづくりの基本として求められているのです。
 日本で一番早く路面電車が走ったのは京都でした。それは琵琶湖疏水の電力を使ってのことでした。地域自然エネルギーで、路面電車を走らせることが出来る良い例となっています。

令和7年京都の暑い夏と人工排熱

令和7年は京都にそして全国に異常に暑い夏をもたらせました。特に京都新聞によれば、京都では猛暑日も熱帯夜も60日超を数え、これは日本で最も多い数となっているそうです。京都が日本で一番暑い夏を持つと示されたようなものです。
 これは明らかに異常気象と言えます。それも近年の人間の活動が生み出した異常な暑さなのだと。
 日本では特に京都では世界に誇る日記文化・随筆文化が紫式部・清少納言の時代から続き、各時代の代表的文化人が記録を残しています。もし令和7年のような夏が過去にあったとしたら、何か次のような文章が残って居るでしょう。「寝苦しい夜が三ヶ月も続いた」「暑さでおかしくなる人々、死に至る人々が続出した」と。科学的データに負けぬ正確な記述を過去の日本は持っているのです。明治以前の日本で、令和7年のような暑さを持った夏は千年の間皆無でした。令和7年の夏は、明らかに人為的な活動によって生み出されました。
 人為的な異常気象と言えば、人々は温室効果ガスが原因と短絡的に考えます。そして多くの人が何とかせねば、だけど自分だけ頑張ってもナと思いがちであるようです。その結果、ほとんど手を付けられない状況が長く続いています。
 私は長い間異常気象が温室効果ガスだけで説明出来るのだろうかと考えてきました。そして日本における様々な現象には人工排熱が関与していることが多いのではないかと。
 人工排熱はヒートアイランドの原因の一つとして、多くの環境関係の書物に説明があります。ヒートアイランドは、20世紀後半以来広く認められている現象で、都市部の気温が周辺部に比べて高くなっている現象です。
 都市部ではそれこそ活発に人為的活動が行われ、人々が多量のエネルギーを消費します。このHPで頻繁に述べているように、消費したエネルギーは最後に全部熱エネルギーに変わります。排出される熱エネルギーの大きさはエネルギー保存則に従って、消費したエネルギーと同じとなります。つまり人工排熱の大きさは、消費エネルギーの大きさなのです。
 自動車が多大なエネルギーを消費することは記述の通りです。そして電車が如何に消費エネルギーが小さくて済むかも。都会に電車(LRT)を導入することは、消費エネルギーを格段に縮小するだけではなく、人工排熱も格段に縮小するのです。
 人工排熱の影響は大きく地形に依存します。都市部での人工排熱は、拡散されていきます。日本の地形はご存じのように独特です。他の先進諸国は中国も含めて、広い大陸の中での平野部で、広大な畑や森の中に都市がぽつんとあるような構造になっています。そうすると都市から排出された人工排熱は、広い平野に広がり、ほとんど他には影響を与えないと見えるでしょう。これが恐らく世界の環境学者が人工排熱を重要視しない原因じゃないかと思っています。平均の地球温暖化には影響を与えないだろうと考えられるのも、一応の理があります。
 しかし日本の都市構造はかなり違っています。東京23区の人工排熱は、拡散しても23区外部の東京都市圏にも影響を与えます。例えば横浜、23区以外の東京都、埼玉、千葉。もちろん23区以外の都市からも人工排熱は出ます。こうして東京都市圏は莫大な人工排熱を放出しているでしょう。熱エネルギーは拡散されるだけで消滅はしませんから、関東平野に広く流れ出ていきます。関東地方全体が暑くなります。
 こう考えると日本は山がちなので、人工排熱はその都市部だけに影響を与えるもので、全体では無視できるという発想は疑ってみる必要があります。
 京都の問題に戻りましょう。京都に地形は三方を山に囲まれています。山は熱エネルギーの流れを遮断する役割を果たすでしょう。そうであるなら異常な京都の夏を創り出す大きな要因が、人工排熱にあることが理解できます。要は京都盆地に熱がこもりやすいことになるわけです。
 これが京都の極度に暑い夏の大きな要因になっただろうことは、単純に想定できます。逆に温室効果ガスだけが異常気象の現象であると考えると、京都の異常な夏を全く理解できません。

京都にLRTを

 脱炭素は世界的な課題です。産業革命以来続けてきた化石燃料消費を止めるというのですから、西欧近代の終焉を意味するものでもあります。
 しかし世界は今西欧近代が造った世界構造を乗り越えようとする時代でもあります。20世紀末に感じられた西欧近代の完全な勝利というフランシス・フクヤマが見たような夢は、21世紀になって次々と砕かれているようでもあります。
 日本は西欧と西欧が進出した新世界(アメリカ、オーストラリアなど)以外で、最も早く西欧近代を取り入れた国でした。もちろん明治維新でそれを行ったのです。そして化石燃料を積極的に取り入れ、遅れた産業革命に追従した国でもあります。
 一方産業を強化することを主眼にしながらも、エネルギーとして石炭を排し水力を使おうと考えて興した事業が琵琶湖疏水でした。北垣国道が書いた琵琶湖疎水起工趣意書を読めば、明確に石炭を排し、水力を使うと明記されています。そして石炭を排する理由として挙げられたのが、石炭は高価であると並んで、今の言葉で言うと環境に悪いと書いてあるのです。そして地域の水力源として桂川、鴨川、宇治川などを調べるのですが、最後に琵琶湖の水を引いてくると思い至るのです。地域再生可能エネルギー産業革命宣言とも捉えられる文章が琵琶湖疏水起工趣意書に書いてあります。恐らくそのような意識を持った大事業は、世界でも初めてだったのではないでしょうか? 京都だから発想出来たのだと、世界に誇って良いのじゃないかと思います。
 京都は持続性を重んじる町です。古代に中国からの影響を大きく取り入れながらも「和を以て貴し」と考え、中国では皇帝という名は残っても朝廷や首都は次々に変わるのに対し、日本では千年の間天皇と首都は京都にありました。持続性をもともと持った都市なのです。だから北垣のような発想が出来たのではないかと思われます。
 桓武天皇はみやこにまず路を造りました。東西に一条から十条、南北に河原町通り、室町通り、烏丸通りなど。それはみやこを千年繁栄させる礎となりました。
 鉄道はみやこを広くカバーしていました。それがわずか40年ほど前、すべて撤去されました。しかし便利でエネルギーを使わない鉄道は末永く残るものです。千年後の3025年にも残っているに違いありません。重力からは地球がある限り人類は解放されません。空を飛ぶのは明らかに地面に乗っている場合よりエネルギー消費が大きいでしょう。超伝導で浮揚するリニアも、鉄道よりエネルギー消費が大きいことは、鉄道綜研の実証試験で明らかになっています。「路」としては鉄道がこれからも一番エネルギーを消費しない方法であることは、物理学者として考えて、まず間違いないことだと思われます。
 だとすれば今が計画的にLRTを導入する一番良い時期ではないかと考えます。日本だけではなく世界から観光のお客様が訪問してくれています。京都が伝統を保持しそれを保ちかつ高めていけば、ますますその傾向は増すでしょう。京都市では宿泊税を特に高額宿泊に対して大幅に値上げしました。お客様により良く京都を楽しんでもらい、一方ですべての市民が京都を誇りに思ってお客様を歓迎する。そのためにはお客様から京都の持続可能性について貢献をして頂く、それは当然あって良いものだと愚考いたします。
 あるくまち京都という標語は長く京都で使われてきました。自動車を使わずとも、また自動車に邪魔をされることも少なく、LRTを使って落ち着いて快適な町を市民全員で創り出す、それを全世界の人に支えてもらう、そして琵琶湖疏水に代表される、西欧近代とはひと味違った思考法を発信し、またお客様達に「純粋経験」してもうらうことによって、京都は持続可能社会創設に大きな影響を世界に与えた、という言葉を未来の世界史に残すことが出来る、そのようなポテンシャルが京都にはあり、それを現実化するのが、京都LRTだと考えています。
 京都からそれを全国のそして全世界の人々に、発信して行きたいと思います。