2024年ヨーロッパ体験旅行

 日本は東京一極集中型国家です。一方ドイツは地方分散型国家です。それを皆様に感じていただくために、2024年夏、ヨーロッパ旅行を試みました。そのご報告をこのページで行いますが、とりあえずYouTubeで旅行中ほぼ毎日アップしていた動画集へのリンクを張ります。
(1) 2024年ヨーロッパ旅 – YouTube

 約40日かけてヨーロッパ各地を移動しました。最初の一ヶ月強は鉄道旅行でした。ヨーロッパの鉄道旅行はもちろん定番のユーレイルパスを使います。
 フランクフルト空港に着いて、そのままフランクフルト空港から鉄道でマインツへ。空港からマインツまでは約25分で到着。マインツ(人口30万の中都市)は、フランクフルト(人口70万人の大都市?)より規模が小さいので、ホテルも駅近くに取りやすく、市内の移動も楽なので、旅の手始めとしてはおすすめです。
 マインツに3泊し、その間にマインツ発のライン下りを楽しみ、その後カールスルーエへ。ここの人口は約35万人です。そしてこの移動がユーレイル利用第1日目です。カールスルーエに4泊、そのあいだハイデルベルク(人口約15万)とマウルブロン(人口はせいぜい数万)への一日旅行を楽しみました。
 ところで上二つあげた街の一つには世界遺産があります。どちらか解りますか? そうマウルブロンです。マウルブロンにはマウルブロン修道院があって、これが世界遺産なのですが、エピソードに満ちた世界遺産なのです。
 カールスルーエは私が前から注目している街の一つです。事実私のYouTubeはカールスルーエのLRT紹介から入りました。カールスルーエのLRT網の発達はめざましく、カールスルーエは現在新しい街作りの最中でした。
 カールスルーエ四泊の後、ケルンに移り三泊しました。ケルンからの小旅行としてはボン(人口34万人)。ボンは旧西ドイツの首都ですね。
 さてケルンは人口110万弱。初めて人口が100万人を超える街を訪れたわけです。人口の規模はドイツで第四位。このようにドイツの街は人口巨大な街はないのですね。ベルリンですらドイツ最大の都市ですが、人口は360万人なのですから。二位のハンブルクは人口190万人、三位のミュンヘンは人口150万人。四位がケルンで五位がフランクフルト。これだけで明らかなように、ドイツには東京のような肥大化した都市はない。それどころかほとんどの都市が大都市とは言いがたく、人口数十万人の中規模都市。それらの都市がすべて個性を持って輝き、それが経済の力となる。日本でも知られたように、ドイツは2024年日本をGDPで追い抜いて、世界第三位の経済大国になりました。一方で日本は30年以上経済停滞が続いています。そのため人々の給料は上がらず、円安が酷くなり、物価上昇が収まらないという事態になっていることは、皆さんご存じですね。
 私は日本経済衰退が過度の東京一極集中にあると考え、今回の旅でもドイツが地方分散型国家であることを実感することで確かめたいと思っていたのですが、見事にそれはあたり、また中小規模の都市が輝いていることも体験できて、日本の根本的課題が見えてきたと感じています。
 ケルンは何度も訪れたことがある都市ですので、おなじみを訪ねる楽しみですごしました。若干の違いは見られましたが(悪い方に変った)、それは詳細なのでここでは省きます。
 ケルンから列車で4時間かけてオランダのアムステルダムへ。三日前のカールスルーエーケルン間移動も四時間程度でしたので、国境を越えた都市間移動としては、ほぼ同じ時間を要するのですが、国境を越えることで何か違いを生ずるのでしょうか? 答えはノーです。良く気をつけなければ、国境を越えたことさえ気がつかず、同じ座席に座って車窓を流れる景色を見ているうちに、あれオランダに入ったのかなとなんとなく気づくだけです。それも旅慣れてなければ、ドイツオランダの細かい違いなど解りようがないですから、京都から大阪に電車で移るとき、あれどこからが大阪なのと思うのと同じ感覚です。
 しかし面白いのは駅を出るとき違いがわかるのです。ドイツの駅は改札がありません。しかしオランダでは最近改札を導入しました。
 ヨーロッパでは改札がなく、乗車して係員が検察に来たとき乗車券を見せなければなりませんが、その後は改札はありませんから、券の役割はもう済んだと考えがちなのですね。しかし完全下車するまで乗車券を持っていることは、規定でもあります。そしてその規定を思い出させるのが、オランダの改札なのです。
 このように旅を続け、その後ベルリン、プラハ、ウィーン、グラーツ、チューリッヒ、ミュンヘンとまわりました。更にミュンヘンからは飛行機でマドリード、ストックホルム、ヘルシンキとまわり、その後アメリカに渡って日本に帰ってきました。今回はヨーロッパの諸都市を見ることが主目的ですが、ヨーロッパとアメリカの違いも、こうやって次々に訪れると解ります。日本は戦後アメリカに追いつけ追い越せの方針で来たように思います。東京一極集中もニューヨークをモデルにしたからでしょう。しかしヨーロッパと比べてニューヨークが魅力的と思う人は限られた若者だけでしょう。これからは本来日本とも類似点が多いヨーロッパの分散型社会を目指すのが、日本の国益にかなっている、そう感じた旅でした。
 近いうちにもっと詳しくご報告の機会を設けたいと考えています。