親ページでは気象について考えました。古事記に初めて現れた気象という言葉を現代的に解釈すれば、気象とは太陽エネルギーによって地上に引き起こされるすべての現象と言うことになります。太陽エネルギーは莫大な量のエネルギーを地球に送り込んでくれています。それは太陽光として知られる電磁波のエネルギーとして地球に届きます。そして太陽光は、地上で様々なエネルギーに変わります。そしてエネルギーの性質として、最後はすべて熱エネルギーに変わります。それは赤外線という電磁波として、地球外の宇宙へ放射されて行きます。地上に降り注ぐ太陽エネルギーと、地球から放射される赤外線のエネルギーは同量になって、地球上に存在する太陽からのエネルギーは長期にわたってほぼ変わらず、安定した地球環境が形作られます。この状態が長いスパンでは変化はするものの長期にわたって安定して、長い地球の歴史が作られました。
異常気象:太陽が作り出す現象ー気象ーに対して
現代社会はエネルギー大量消費社会です。太陽エネルギーだけではなく、人工的な化石燃料エネルギーや、核エネルギーが解放され、地上で「人間の為」に働いています。これはその性質上異常な気象と言うことになります。太陽エネルギーが引き起こすすべての伝統的な現象が気象なのですから、人間が異質のエネルギーを使って引き起こす現象は、まさに異常気象であると言ってよいでしょう。しかし他のページで示したように、地球に降り注ぐ太陽エネルギーの量は、同じ時間に放出されている人工的な(すなわち消費される化石燃料や核燃料)エネルギーの一万倍はどの大きさを持ちます。この立場で異常気象は気象に比べて十分小さいと考えられます。ただし一方で一万分の一も使っていると考え始めなければならない時代に入ったということも出来ます。
言葉の遊びをやっているのと思う人も多いでしょう。しかし人は言葉を使って考えます。日本人が物事を深く理解し真に考えようとすれば、日本語を使って考えるのが一番解りやすいはずです。日本文化に限らず、すべての文化は、その言語を使って生み出されました。太陽が引き起こす現象が気象なら、人工的なエネルギーが創り出される現象は異常気象と考えるのが、多くの日本人に解りやすいでしょう。民主的に未来を考える基盤になります。教条的に脱炭素と言っても、人々が受け入れにくいことは、これまでの脱炭素の推進具合を見ても解ります。
近年起こる「異常気象」
「気象って何」って聞かれたら多くの人が答えに詰まると思いますが、「異常気象って何」と聞かれたら、いろんな答えが直ちに帰って来るでしょう。例えば近年の台風の強さ、線状降水帯と呼ばれる現象、また令和7年の猛暑日と熱帯夜の頻発。すべての人が昔はこんな気象はなかったと、異常気象の例にあげるでしょう。
私はいわゆる団塊の世代の人間ですが、少年の頃「風速40メートル」が、最大級の暴風の代名詞でした。石原ファミリーは今や政界とマスコミ界で有名ですが、最初に庶民の中での英雄となったのは石原裕次郎さんです。それこそ長嶋茂雄さんや、美空ひばりさんクラスの「超」がつくヒーローでした。その初期の映画の題名が「風速40メートル」だったのです。日本に近づく台風で風速40メートルはまずあり得ないという認識の上で、それに対抗する超人裕次郎というイメージで、裕次郎ファンを引きつけたものです。
令和7年の秋、二つ続けて八丈島に強い台風が襲いました。その最大風速は風速70メートルとも報道されました。これに比べると風速40メートルは子供みたいな台風に思われてきます。風はもちろん気象の一部ですから太陽からもらったエネルギーを持ちます。
風のエネルギーは風速の三乗に比例します。物体の運動エネルギーは速さの二乗に比例することを高校で教わったことを記憶しておられる人は多いでしょうが、それを使って流体の持つエネルギーは流れの速さの三乗になることが導けるのです。つまり風速70メートルの台風は、風速40メートルの台風の5倍強のエネルギーを持つことになります。異常な大きさです。
台風のエネルギーは海からの熱エネルギーが変換されたものです。暑い地方の海で発生する台風は、高温の海から、低温の上部空気に向かって、熱エネルギーが流れる(運び手は空気です)ことで発生し、巨大化していきます。事実日本近海の海水温が過去に比べて上昇していることは、理化学辞典や環境事典で、20年以上前から指摘されてきました。この理由は様々あるのかも知れませんが、人工排熱もその理由の一つではないかと私は考えています。周りを海で囲まれた日本では、冷却用として海を利用することが当然とされてきました。特に火力発電や原子力発電では、燃料を燃して高温化した高温部から、熱エネルギーを流しこむための低温部として海水が使用されています。このエネルギーの流れの一部が電気に変わるのです。そのため日本におけるエネルギー消費を調べると、海に捨てられている人工排熱の量は、日本全国で消費されている電気エネルギーとほぼ同じ量の値に上っています。
ヨーロッパや中国では、海水の代わりに空気が冷却用として多く使用されています。しかし水冷の方が発電効率が一般に良くなるので、日本の最先端の火力発電では発電効率は60%に上っています。つまり消費した化石燃料が放出したエネルギーの60%が電気に変わるが、40%は熱エネルギーとして海に捨てられています。原発はもっと効率が悪く、発電効率は33%しかありません。言い換えれば、原発が生む莫大な電気エネルギーの二倍の熱エネルギーが、海に捨てられているのです。効率だけを追求すると、ひょっとしてそれは日本各地を襲う異常気象となって日本経済に打撃を与えているのかも知れないと、きちんとした科学的理解を持って疑うことが今求められています。空冷式が良いのか、水冷式が良いのか、当然きちんと考察しなければいけないのですが、そのような議論は聞こえてこないような気がします。
令和7年の猛暑
異常気象をもう少し現代の庶民の常識に合うように定義し直すとすれば、「人間活動が引き起こした通常では考えにくい気象」と考えて見ましょう。そうすれば令和7年の日本での猛暑は明らかにその例としてあげられるに違いありません。
トランプが地球温暖化はフェイクだと明言するように、「産業革命以来の人間の活動が原因で、人が困るような現象は何も起こっていない」と産業人の多くは信じたいのだと思います。それでもIPCCの権威を元にした温室効果ガス理論が産業人気質のむき出しの論理の暴走にブレーキをかけているというのが現状だと思います。人類を破滅させかねない危険な思考にどのようにブレーキをかけるかが如何に重要事項であるかを、プーチンを例に挙げて考えれば多くの人が納得してくれるでしょう。しかしそのブレーキは、教条的ににかけても効果が薄いこともプーチンの例が示しています。
令和7年の夏は私が住んでいる京都では本当に辛い夏でした。6月半ばに梅雨が明け、直ちに猛暑がやってきました。そして猛暑は9月が終わるまで続きました。あまりの猛暑に私は三ヶ月半の間、外出することもほとんど無く過ごしました。もちろん生きるために必要なスーパーとかコンビニには行きましたが。
京都新聞によりますと京都の猛暑は「60-60」を超えたそうです。大谷選手の「50-50」を借りたこの表現は、猛暑日と熱帯夜が共に60日以上あったという意味です。東京など他の都市も記録的に猛暑日などを増やしたと思いますが、「60-60」は日本で一番多いそうです。ある意味京都の夏が一番暑かったということになります。」
この暑さは京都の千年の歴史を通じて初めてであったことが解ります。何故なら平安時代以来、京都では日記文化・随筆文化が発達し、日々の日常生活の感覚を、優雅にまた生き生きと記録することが紫式部や清少納言の時代から続いているのです。もし過去に令和7年のような暑さがあったとすれば、誰かが記録に残しているでしょう。寝苦しい夜が三ヶ月以上続いたと。またクーラーもない時代です。猛暑日は熱中症の人を多く生み出したでしょう。それは「熱気に当たって皆がおかしくなった。死んだ人も多く出た。」みたいな文章で残されていたでしょう。西欧文化が生んだ科学的データと同様、感覚に基づいた洗練された文章は真実を正しく記録するのです。
こうして令和7年の京都の夏は、過去千年の長きにわたって無かった異常な夏だということが解ります。そしてそれは自然が生んだものではないことも。何故なら温度を高めるのは熱というエネルギーであることがエネルギーの原理です。熱エネルギーの源である太陽エネルギーは、令和7年に急激に変わったということは間違いなく観測されていません。そうすれば、産業革命で始まった人工的な排熱が、恐らく様々に絡み合って京都の異常気象を引き起こしたのだと考えないといけないことになります。どう考えても、人間活動が引き起こした異常気象の例になっています。
しかしそれでは温室効果ガスの増加だけが原因なのでしょうか? 私にはそうは思われません。
人工排熱はヒートアイランドの原因であると考えられていますが、それは狭い都市空間だけの問題であり、それ以上の影響は持たないとも考えられているようです。しかし気象は複雑です。地形的な影響も考えなければいけません。日本は山が国土の多くを占めています。広々とした平野だと、人工的に排出した熱エネルギーは四方に拡散していきます。しかし山は熱エネルギーの拡散の妨げになるでしょう。特に京都みたいに三方を山に囲まれている都市は、排出された熱をこもらせがちになると考えなければいけないでしょう。そう考えると京都が日本一暑い夏を持つことも、あり得ることと考えられます。
令和7年の京都の夏の暑さは異常でした。この異常さを少なくするためには、京都盆地での人工排熱を、特に夏期において、縮小させなければいけません。
京都の人工排熱は、京都でのエネルギー消費に他なりません。つまり特に夏において、効果的な省エネを行いなさいということになります。
それについては別のページで論ずることにしましょう。