日本に停滞感が漂っています。やっとコロナが明けたのに、理不尽なプーチンのウクライナ侵攻があり、エネルギー危機が起こり、また日本では食料危機とまではいかなくとも食料価格も上昇し、賃金は上がらない。羊のように見えた岸田さんは、獅子のように吠えまくった安倍さんができなかったようなことを、ちゃんとした議論抜きで平気でやってのけ、支持率は下がりながらも、政権を交代させる野党もない。
この停滞感は東京一極集中が生み出したものと私は考えています。その理由の一端をここではお話ししましょう。東京が日本の進歩を牽引する時代はその限界に達し、新しいパラダイムに基づかなければ、日本の「進歩」はないのです。
経済の指標から見ると失われた30年と呼ばれています。岸田さんは首相になる前は所得倍増とか、減税とか言いながら、首相になった途端増税を企んでいるし、所得については倍増どころか、ただただせこく、上がる物価に相当する賃金引き上げなんか言って、経済の好循環を実現するという。この人子供でも分かる論理的な整合性がある主張をする気がないんじゃないか? それよりもなんともはや高度成長の時代と同じことを言っているけど、それって時代遅れなんじゃないかと、経済学に疎い私は思ったりしています。新しい資本主義だというけれど、古く捨て去られた資本主義の考え方の一部しか理解していないので、何か新しい物はないかと自分が探したい、要は自分の頭で何も考える能力を持たない人が日本の総理になっているのでしょうか?政治家の質がどうしようもなく落ちたのも、日本の停滞感の一因のようです。
経済の指標で多くの人がお金の流れを議論します。お金は不思議なもので、訳もわからず増えたり減ったりします。貯金を考えてもわかりますよね。増えたり減ったり。でも庶民が貯金ができるという常識も、高度成長時代からの発想ではないでしょうか。つい100年ほど前庶民派の歌人が歌いました。働けど働けど我が暮らし楽にならざる、じっと手を見る。啄木が貯金を殖やすために働いていたとは思えません。江戸時代の庶民は宵越しの金は持たねぇ、って言っていたとか。ひょっとしてお金が極端に増えたり減ったりするのは、日本庶民文化にはなかったことじゃないでしょうか。
お金と違って増えたり減ったりしないが、豊かさの指標となる量があります。エネルギーです。エネルギーは訳なく増えたり減ったりは決してしません。高校でも習う物理学の大法則に従います。一方お金の計算に慣れた人にはわかりにくい量かもしてません。お金はグローバル時代世界共通となった「市場」で、あっという間に増えたり減ったりする、何とも不思議な量ですから。だから増えたり減ったりしない量をわかりたくないのでしょう。でもエネルギーは、これからも人々の生活の土台ですよ。そしてエネルギーを見てみると、失われた30年の隠れた問題が見えてきます。それをこれから見ていきましょう。
1973年以来の建物内のエネルギー消費の変遷
日本における家庭および第三次産業での最終エネルギー消費の変遷
上の図を見てください。1973年から2020年までの、家庭と第三次産業での、日本の電気の消費量が示されています。前年の消費量より減少した年もありますが、大まかに言えば2010年くらいまでは、家庭でも第三次産業でも、電気の消費量は勢いよく上昇しています。
単位はMtoeメガ石油換算トンです。このグラフの数値を提供しているIEA(International energy agency)が主に用いている単位です。要は石油に換算してこれだけメガトンの量のエネルギーを消費しているというわけです。例えば第三次産業では1973年には、石油に換算して2.5メガトンの電気を全国で一年間に消費したのに対し、2010年の少し前には、その2.5が30になるほど上昇したわけで、つまり10倍以上の上昇になっています。
これに対して家庭での消費はやはり増加してはいるものの、上昇率はそれほど激しくなく、そのため1973年には家庭での消費が、第三次産業での消費より2倍以上多かったのが、20世紀終了直前には逆転し、今では第三次産業での消費が、家庭での消費を上回っていることがわかります。
この右肩上がりの上昇カーブは、何やら日本の経済のかつての右肩上がりを思い出させます。事実経済産業省は日本全体のエネルギー消費とGDPの伸びは相関関係にあると、毎年発行するエネルギー白書で示しています。だが待てよ。日本経済は1990年に停滞をはじめ、だからこそ安倍さんなんかも今から10年ほど前、失われた20年と獅子のように吠え、アベノミクスにかかわらず思ったように日本経済が発展していないことで、現在失われた30年と言っているのじゃないでしょうか? 上のグラフは、第三次産業のエネルギー消費は、失った30年が始まっても、勢いよく増加していることを表しています。なぜこうなったのか、不思議に思いませんか?
5年間移動平均をとってみます
コロナ禍の中で、人々はその日の新規感染者数増減のニュースを、毎日心配して食い入るように見ていたものです。増減は明らかに日によっての凸凹があり、そのうち放送各局は移動平均をとり始めました。コロナの感染者数発見は明らかに曜日によって変動しますから、一週間の平均値で増減をみることに気づいたのです。
ここでも凸凹を平準化するため、移動平均をとってみます。年数は特に意味はないですが5年とします。1973~1977年の五年間の平均値を1975年の値とし、1974~1978の平均値を1976年の値にします。以下同様です。
上の図は移動平均をとって経年グラフにしたものです。凸凹が消え滑らかになり、増減の大きな流れがよりよくわかるようになりました。
家庭でも第三次産業でも、統計が始まった70年代から世紀を超えて2,010年ころまで、電気の消費は伸び続けましたが、家庭での伸びがより緩やかで、比較的一様であるのに対し、第三次産業では、より急激でまた波もあることが見て取れます。ちょっと不思議じゃないですか?
他の先進諸国との比較
このような急激な変化は、日本だけの現象なのでしょうか? それとも他の先進諸国でも見られるのでしょうか?
上の図がその大まかな答えを与えてくれます。
上の図の説明の最初に断っておかなければならないことがあります。それは日本ではエネルギー消費といえば、電気の消費と考えますが、これは日本特有の現象で、先進諸国を含め多くの国で、電気の消費より他のエネルギー(ガス、石油製品、石炭)消費が多いことが、しばしばみられることです。電気だけを見て判断することは間違った結論を導く可能性があるので、上の図では最終エネルギー消費全体を使っています。
もう少し詳しく言うと、家庭、学校、商店、事務所などで使われる電気、ガス、石油製品などの総和を最終エネルギー消費といいますが、その最終エネルギー消費を使って上のグラフが書かれています。
国のエネルギー消費は人口などの要因で大きさが変わりますので、純粋に経年変化の違いを比較してみるために、1988~1992年の平均を各国の基準として、上の図ではその基準に対しての割合を1973~1977年の平均値、1988~1992年の平均値’(1となります)2003~2007年の平均値、2016~2020の平均値を経年で示してあります。
図で見るとわかるように、米、加、独、仏、英の第三次産業でのエネルギー消費は、日本ほどは激しく変動しておりません。ドイツにいたっては、ほとんど変動を見ることはできません。日本が特殊であることがわかります。
東京が日本経済を牽引するというパラダイムの終焉
戦後日本人は東京こそが日本の中心であり、日本経済を牽引するという発想が、皆の共有する考えであったと思います。地方で頑張る方ももちろん多くおられました。その人たちは東京に負けるもんかと頑張っておられたでしょう。でも「東京に負けるもんか」という考えこそが、東京中心の発想の裏返しでしょう。東京の人が大阪に負けるもんかとか、京都にまけるもんかとか思ったとは、寡聞にして私は聞いておりません。
しかし上のグラフは東京中心という発想がもはや成り立たなくなったことを示しています。それをご説明しましょう。
このページの二番目の図を見てみましょう。第三次産業での電気の消費が1990年ころいったん落ち着いたかに見えますが、その後さらに勢いをつけて21世紀を迎えます。そして第三次産業での電気の消費が、1990年の倍を超えるほどの増加を見ます。わずか十数年のうちに、このような増加を見るのは異常であり、他の先進国には見られない以上、我が国特有の問題があったことになります。もちろんその時代に経済・社会が大発展したのなら、それはそれで良いと思われますが、事態は真逆で、経済の停滞が始まり、それが失われた30年に続くのです。昔「ドブに金を捨てるようなものだ」という言葉がはやったような気がしますが、90年代の電力総消費の急増は、ドブに大量の電気を捨てるようなものだったのです。そのドブとは何でしょうか?
90年代にパソコンの消費が始まりインターネット時代を迎え、それはもちろん電気を使うものではありました。しかしパソコンの消費電力は、技術の進展によりどんどん減少していきました。昔はちょっと高性能のコンピューターを入れた部屋は、必ず冷房装置を入れるように気をつけていました。まだ人が入る部屋の冷房も一部では導入できていない時代です。このころのコンピューターは確かに大量の電気を食っていました。しかしそのころはコンピュータの普及も少なかったのです。このページの第三図で、消費エネルギーの急増が見られる国は日本だけということからも、パソコンの普及が原因だったとは結論できません。
それでは何が原因なのでしょうか?
90年代初期にその急増が始まったことが、解のヒントを与えてくれます。ちょうどバブルがはじけた時期です。
バブルは不動産バブルでした。特に古い建物を持つ土地が広く売買され、そこでは再開発計画が練られ、高層ビルが建ち並ぶようになります。売買の成立からビルの竣工までは当然何年かの時差があります。こうして20世紀の最後の10年から21世紀初頭まで、再開発と称して高層ビルの建築が続きました。私がいた法政大学市ヶ谷キャンパスにも、21世紀の初めに千代田区初の高層ビルが建ちました。
高層ビルは莫大な電力を消費します。高層ビルの巨大エネルギー消費とその理由はこちら。東京では今や立ち並ぶ高層ビルが当然の景色となっており、多くの人がそれが進歩と繁栄の象徴と思っているでしょうが、逆であると考えなければならないことを、失われた30年が教えてくれます。
また東京には巨大な地下空間も広がっています。地下7階の駅空間なども、東京では当然と考えられています。巨大な閉じた空間を空調で支えることで、巨大都市東京ができあがっていますが、「エネルギーをドブに捨ててしまった」そのドブとは、東京に他ならないと考えざるを得ません。そのほかに90年代に見られる電力消費急増の理由は見つからないのです。
東京が日本経済を牽引する時代は終焉し、東京にエネルギーを集中することは、間違った場所にエネルギーを集中することに繋がる時代に変わったのです。何故ならこの電気の集中が示すように、人的資源、知的資源、財政資源、エネルギー資源を東京に集中するのが東京一極集中ですが、地方は逆に衰退し、衰退した地方を嫌って人がさらに東京に集中するという構造が、失われた30年で見られた構造だと思います。それは東京を一部短期間栄えさせるかもしれないが、地方の衰退が全体としての日本経済を衰退させているという構造となり、日本での格差拡大を生むだけであり、さらには一極に集中しながらも全体の経済は劣化することで、集中したはずの東京の副都心池袋の百貨店を、外国資本に売却しなければならないなど、日本はどこに行くのかという不安を日本にもたらすことになっているのです。
東京にエネルギーを集中したのに、日本の経済停滞が始まってしまったという事実は、「東京中心説」というパラダイムが、時代遅れになり、新しいパラダイムに切り替えなくてはならないことを示します。ちょうど地球中心説(天動説)が近代初期に捨て去られ、太陽中心説(地動説)に置き換わって、物理学と天文学が大きく進展したように。
新しいパラダイムとは何でしょうか? 再生可能エネルギーは地球全体に広く降り注ぐことを考えると、大都市集中の時代は終了し、中小規模の個性あふれる都市が数多く存在する、そしてそれらの都市が効率よく鉄道や船の路線のネットワークで結ばれている、持続可能な地域分散型社会を創生するパラダイムではないでしょうか? 集中から分散。そして地方創生の指針となり得るのが琵琶湖疏水起工趣意書にある「地域再生可能エネルギーによる地域産業革命」なのだと思います。
失われた30年とエネルギー消費との詳しい議論は、エネルギーと社会の子ページ「失われた30年とエネルギー消費」をご覧ください。