琵琶湖疎水と分散型国家

現代日本が東京一極集中型の国家であることは、日本ではよく知られていることです。しかしドイツが典型的な地方分散型社会であることを、ほとんどの日本人は認識していません。それをここでは論じてみたいと思います。その東京一極集中も明らかに明治以降の近代化と敗戦が生んだ産物で、幕末まではいや戦前までは、日本は地方分散型の社会でした。そして分散型国家の可能性を示したのが、琵琶湖疎水であると考えます。

東京一極集中は高度経済成長の産物だった

 現在ほとんどの日本人が東京は経済の牽引力になっていると考えているでしょう。しかし東京が経済の牽引力だったのはごく一時期、高度経済成長期からバブルまでととらえることができます。バブルが崩壊した後、日本経済は停滞期に陥り、はや30年以上がたちました。日本は戦後の混乱期から脱して初めて成長期に入り、その成長期はバブル崩壊までの短い時期だったのです。仮に高度成長が戦後10年経っての1955年に始まったと考えても、バブル崩壊が1990年だとして、成長期はわずかに35年しか続かなかったことになります。1990年からすでに35年目にあたる来年には、失われた35年と言っていることでしょう。つまり成長期と停滞期がほぼ等しくなったことになります。
 高度経済成長で目立ったのが東京集中です。金の卵ともてはやされ、全国から東京へと中卒高卒者が移住していきました。同時に日本経済は勢いよく成長し、一時は経済大国二位にまでなりました。地方出身者が東京に出て、一から出発しそれなりの中流に上り詰めた結果の総和が、戦後の経済成長期でした。一億総中流といわれました。でもそう考えれば決して東京が経済をけん引したのではないことがわかります。活躍したのは東京に出てきた地方出身者たちなのですから。
 二十世紀末、今思えば停滞期が始まったころ、東京はもういい、地方の衰退を食い止めなければと主張する政治家も複数現れ始めました💕。今思えば、その政治家たちは正しかったのです。一方このまま東京を中心に経済を進めなければ、日本はもっと遅れるみたいなアホ😒なことを考える政治家や評論家が東京に集中して、いまだ東京への人口集中が止まりません。しかし日本の経済は停滞したままです。そのアホなことも、民主主義国家日本の選択で正しいと皆が判断したのですから非難はできません。経済停滞を招いたそのような政治家・評論家を、日本人の多くが選ばない、まともに聞かないという思考力を付けなければ🤣、日本はこのまま衰退していくでしょう。
 2024年、GDPという経済指標はドイツが日本以上に経済大国であるということを示しました。東京は相変わらずアホなことばかり発信しています。オオサブ、目先を変えましょう。

京都の衰退を救うために行われた琵琶湖疎水事業

 明治維新で政権を握った明治政府は、日本の近代化を進めるために、天皇を担いで東京に都を移しました。東京奠都は京都に衰退をもたらしました。幕末の人口三十数万が二十数万人へと、20年経たないうちに急激な人口減に陥ったのです。東京に人口を吸い取られ、京都は急激な停滞に直面しました。その京都を復興させようとして計画されたのが琵琶湖疏水です。
 衰退に陥る京都に永続的な繁栄の道筋をつけよとの使命を受けた北垣国道は、桓武天皇以来の長い京都の歴史を熟慮します。そして結論します。 
 京都は商売の町ではない。質の高い工業(伝統工芸、美術、文化)の町だ。それを生かすためには人の力だけではなく、機械の力を借りなくてはならない。産業を発展させるのだ。だがそのためにはエネルギーが必要だ。石炭(化石燃料)は高価だし環境に悪い。水力という自然エネルギーを使おう。
 そう考えた北垣は、京都の川を片端から調べ、最後に思いついたのが琵琶湖から水を引いてきて、鴨川との落差を利用した水力を地域産業のエネルギーとすることでした。
 今こそ北垣の革新的な努力と根本的な発想を学ぶべき時ではないでしょうか。日本各地の長い歴史を考え、それを生かし地域の自然エネルギーで栄える地方を、日本全国に創り出すときではないでしょうか。

地方の衰退を招く集中、地域の再興を産む地域特性の把握

 集中は地方の衰退を招きます。明治初期京都の衰退がそれを明らかにしていますし、また現在も日本全国で地域の衰退は目に余るほど進んでいます。日本の経済停滞は、東京の経済「成長」と地域の衰退が、プラスマイナスゼロで拮抗していると考えると誰にでもわかりやすくなります。日本で人口が増えない以上、東京での人口増加、それは地方の人口減少の結果を意味します。同様に日本で経済停滞が続く以上、東京の考えで経済を成長させようと思えば、地方の経済的な病あるいは死をもたらします。東京集中の限界を迎えた以上、トータルではゼロまたはマイナスになるのです。中学生で負の数を習った子供にさえわかる理屈です。
 それでも東京の政治家・論者・専門家たちは、東京目線でつまり東京を中心として、経済を発展させようとしています。地方は衰退するばかり。東京集中が問題を引き起こすとは考えてもいないようです。さらなる東京集中は、地方の大きな減衰によって日本経済はトータルで考えると停滞どころか衰退を免れないでしょう。格差拡大を危惧する声は、頑迷な東京論壇にも表れ始めています。地域の差を考えに入れない「全国規模」の格差ですが、地域格差を考えに入れると、その構造がよりはっきり見えてくるのではないでしょうか?
 明治時代の京都の盛衰録は、もっと注目されていいのではないでしょうか? 京都の衰退に直面した北垣が考えたこと、それは京都という「地域」の特性を歴史的にも正しく判断し、それを地域の復興の鍵と考え、その特性を未来永劫に繋ぐべく、地域再生可能エネルギーを利用して活性化させる。これは「東京」では判らず地域で考えなければ考えることができない地域の宿題なのです。
 その様々な地域の総力として日本を作り直せば、地域分散型社会になるのは明らかでしょう。すべての地域が活躍する日本、千年の歴史を共有する日本の伝統を生かし、これから千年いや万年続く社会を作り上げて世界をリードする日本。そのような発想をしてみませんか?

全地域が輝やく長い日本の歴史、そしてドイツ

 日本全国の書店に行けば、地域の歴史を論じた本が、必ずと言っていいほど並んでいます。発行部数何万部と誇ることはありませんが、それでも確実に地域の人たちに読まれるからこそ、地域の本屋さんに置かれているのです。地域の郷土史研究家が、地道に郷土のためにその歴史を研究しています。すべての地域でその研究が成り立つことは、地域ごとに自慢できる、輝く歴史があることへの、明白な確証を与えています。歴史を見ると日本すべての地域がそれぞれに輝いていたのです。
 これから簡単な統計で日独を比較しますが、ドイツは明らかに分散型国家です。ドイツ好きの方は日本にも多いでしょう。私もそうだよって思われる方も、今この文を読んでいただいている方の中に多いのではないでしょうか? でもおそらくドイツのどの町が好きなの、と聞いたら、その答えは千差万別なのではないでしょうか?
 ドイツではすべての地方が、その歴史を受け継ぎながら今現在輝いていて、その結果地域格差は少なく、全国民がしっかりと経済生活を営んでいる、そのような構造がドイツの経済を緩やかながらも確実に成長させてきたのだと思います。
 ではこれからドイツが地方分散型国家であることを証明していきましょう。まず日本とドイツの首都、東京とベルリンの人口の違いを見てみましょう。それも首都の中心部と、その周辺の首都圏での人口を別々に比較してみます。日本の人にわかりやすいように、日本の首都中心部を東京23区、首都圏を一都三県(千葉、埼玉、神奈川)とし、ベルリンのそれと同じ程度の面積を持つ部分を、ネットから探してそれぞれ首都中心部、首都圏と考えることにします。
 まず首都中心部から見てみましょう。

首都中心部の比較

人口(万人)面積(平方キロメートル)
東京23区967628
ベルリン州361892
日本とドイツの首都中央部の人口と面積の比較。東京23区のデータの出典は東京都HP。HPは2022年2月16日更新とある。一方ベルリン中心部の人口は、ベルリン州という名詞(日本語訳)とともに、ドイツ連邦共和国大使館総領事館のHPから引用した。2010年9月のデータとある。いずれの値も表記単位での小数点以下を四捨五入し整数値で与えてある。

 東京23区を東京中心部と考えることは、すべての日本人がとりあえず納得するでしょう。しかしドイツの首都ベルリンの中央部については、ほとんどの日本人は行ったこともないでしょうし、ベルリン中央部について、どの範囲をいうのかは、ネットで調べたら、意外とむつかしい問題ということがわかります。ここでは在日本ドイツ大使館のHPからその値をとりました。そこではベルリン州という訳が充てられていますが、州というのは日本では九州などにわずかに残っている「地域を指す言葉」の一つで、州という言葉でわかった気になるととんでもないことになります。大使館の説明も、中心部と考えたほうが良いというニュアンスがあります。
 面積を比較すると、ベルリン州のほうが、わずかに東京23区より広いだけで、ほぼ同じとみなしていいでしょう。上の表からは同じくらいの面積に、東京中心部には、ベルリン中心部の3倍近くの人が住んでいることがわかります。もっと精密な値を求めるならば、人口密度としては4倍近くになっています。

首都圏の比較

人口(万人)面積(平方キロメートル)
一都三県3,69213,565
Berlin/Brandenburg metropolitan region61430,370
日本とドイツの首都圏の人口と面積を比較している。日本の首都圏を一都三県の合計と考え、一都三県の公式HPでそれぞれの値を調べ、単純にそれらを加算した。一方ドイツのデータはWikipedia 英語版による。

 東京一極集中は東京23区だけを言っているわけではありません。東京経済圏に人口が集中していることを言っているのです。東京経済圏も境界線をはっきり区別できませんが、東京都だけではなく、千葉、神奈川、埼玉各県を加えたものと考えると、大まかな議論には十分でしょう。そこで一都三県のHPからデータを取得し、それを足し合わせたものが東京圏に対する上の表の値です。
 東京圏の住民は中心部の約4倍になっています。また日本の人口は約一億二千五百万人ですから、首都圏には日本の1/3近くの人が集中していることがわかります。
 一方ベルリン首都圏の人口を調べるのは容易ではありません。英語版のWikipediaで見つけたBerlin/Brandenburg metropolitan regionがそれに最も近いと考えてその値を取ってきました。三万平方キロ強という面積になりますが、これは一都三県の総面積より広く、仮に円形だとすれば、半径およそ百キロメートルの円になる計算です。
 驚くべきことにこの広い範囲で住民数は東京中心部にも及ばず、またベルリン中心部の倍にもならない人数しか住んでいないのです。ベルリン中心部の外は、もはや人口から見ると都市部であるとみることができない領域に囲まれています。明らかにドイツでは首都ベルリンに人口は集中していません。

ドイツ南西部

 明らかにベルリンは東京と同じ役割をしているとは言えません。それではドイツには東京と同じような都市が他にあるのでしょうか?
 そういえばフランクフルトがありますね。
 日本から世界各地に行こうとすれば、特に欧米諸国へ行こうとすれば東京から出国します。日本人はそれを当然と受け止めています。言い換えれば世界から、特に欧米諸国から日本を訪れようとすれば、東京にまず来るわけです。成田か羽田かどちらかに。それは果たして当然なのでしょうか? 理に適っているのでしょうか?
 日本からドイツに行く人は、必ずと言っていいほど、フランクフルトにまず飛びます。私もドイツには何度も行きましたが、すべてまずフランクフルトに飛んだと記憶しています。フランクフルトが旅の目的地であることは一度もなかったのですが・・・。ヨーロッパでドイツ以外の国に行くときでさえ、慣れているからという理由もあって、ほとんどまずフランクフルトに行ったと記憶しています。
 言い換えれば国の玄関口として、あるいはヨーロッパ諸国の玄関口として、フランクフルトは東京と同じ役割を果たしています。ところでフランクフルトの人口を皆さんご存じでしょうか? え、東京の人口から考えて一千万はあるだろうって?
 フランクフルトの人口は70万人です。一桁以上少ないですね。大きいことは良いことだと、のんきに主張して百万都市を目指す時代が日本にはありました。古き良き・いや若者あるいは中年にとっては邪魔でしょうがない昭和の時代です。フランクフルトはその百万都市でもないのです。それでもドイツでは五番目に人口が多い都市なのです。
 それでは何故フランクフルトにドイツの玄関があるのでしょうか? ここでドイツの地理を少し勉強しましょう。google mapでベルリン周辺地図とフランクフルト周辺地図を比べたものを下に示します。

 まず上の図を見てください。ベルリンの中心部は上記のように約360万人なのですが、孤立していて周辺も併せてドイツの全人口の10%にも満たないのです。そしてベルリンに近いドレスデンとか、ライプツィヒとかは、100kmほど離れています。そこに国際空港をおいても、ドイツ人の多くが利用できるわけではないのです。
 一方下の図で見るフランクフルト(フランクフルト・アム・マイン)は、人口は70万人に過ぎないとしても、ドイツ中部、ドイツ南部の多くのの都市からアクセスが良く、国際空港として利便性が高いのですね。
 上に示した地図からも、ドイツが地方分散型国家であるということがよくわかるでしょう。上記地図で人口百万を超える都市は、ケルンとミュンヘンそしてベルリンだけです。にも拘わらず他にも重要な都市が多く見られます。そして各都市ではその性格が違います。例えばシュトゥットガルトは、ドイツの有名な自動車会社ベンツやフォルクスワーゲンなどの本社がおかれている町ですし、ミュンヘンは南ドイツを代表する都市です。陽気なビールの町、ロマンチックなノイシュバンシュタイン城の近くの町。ケルンは古代ローマ帝国に起源をもつ歴史を誇る都市ですし、京都の姉妹都市でもあります。デュッセルドルフは多くの日本の会社の支店がおかれた町。ハイデルベルクは古い大学町・・・。

参考までに

未完、次の一週間で完成させます。乞うご期待。