魔女が最大になった17世紀

皆さん西欧では魔女とされた人物が火刑にされて殺されたことをどこかで聞いているでしょう。リンチを受けて火刑になったと漠然と考える人も多いかも知れません。しかし事実は違います。テロやリンチではなく、国家によって正式に運営される裁判で、魔女裁判として裁判が行われ、魔女と認定されたら火あぶりによって死刑にされたのです。
 宗教的に異端とされて火刑にされた人物は比較的よく知られているでしょう。例えばチェコのフスなどが挙げられるでしょう。あるいはジャンヌ・ダルクなどを想像する人もいるかも知れません。どちらも近代以前のヨーロッパでの話です。中世の間違った習慣だったと考える人もいるでしょう。しかし魔女裁判は公的に行われたのですから正式に残っています。歴史家が調べることが出来ます。そして歴史家が調べた結果、魔女裁判の数が最大になったのは17世紀であると解っています。
 17世紀と言えば西欧近代が始まった時期です。ガリレオやケプラーが17世紀初頭に出て活躍し、近代哲学の祖と言われるデカルトが「方法叙説」を出版した時代です。後に万有引力の法則を発見したニュートンは17世紀後半に活躍した人です。明らかに17世紀は中世から抜け出して、近代と言われる新しい時代を切り開いた時代なのです。17世紀は根本的に新しい考え方を確立した時代でした。
 その新しい夜明けの時代は、当時の人にとって輝かしい時代ではありませんでした。魔女裁判の被告になった人は、多くは庶民でした。名も無くごく普通の生活をしている人が魔女として摘発され、そして裁判の結果不幸にも「魔女」と認定された人は、火あぶりの刑で死ぬしかなかったのです。
 魔女は異端とは違います。ガリレオの裁判は有名ですが、彼は異端として裁判にかけられ、自説ー地動説ーを取り下げることで有罪を免れたのです。このガリレオの悲劇は有名ですが、実はケプラーも魔女裁判の被害にあっています。
 魔女裁判にかけられたのはケプラーのお母さんです。ケプラーはワイル・デル・シュタットというシュトットガルト郊外の田舎町の出身です。出生地を離れ各地を転々と移動したケプラーとは違って、彼女はずっとこの町に残りました。そして町の人から魔女だといって告訴され魔女裁判にかけられました。神聖ローマ帝国皇帝付数学官という肩書きをもらっていたケプラーは必死に無罪を主張し、かろうじて無罪とされたようです。これはケプラーの伝記作家の記述ですが、基本的にすべての伝記作家が同じように記述しています。
 裁判ですから有罪か無罪が争われます。そして魔女は悪魔の手先と考えられていましたから、焼き殺すのが正しいとされていたのです。どのように魔女だと判定するのか、現代人から見て、訳がわからない話ですが、それは近代が確立した後の現代人から見て、馬鹿馬鹿しくて信じられないだけで、当時の人はそれがおかしいと思えなかったのですね。真に新しい時代の始まりには、逆に古い時代の弊害が最大限現れるという良い例になっていると考えた方が良いのではないかと思います。
 翻って21世紀四半期が終わったばかりの現代を考えて見ましょう。近代の悪弊ー帝国主義や一国主義ーが急速に表れているようです。誰もがプーチンを見て、またトランプを見て、20世紀を経た21世紀にこんな馬鹿げた古い考えが支配的に出てくるとは、と思っているでしょう。そう思ったら中世の古い弊害が17世紀に最も強く表れたことを思い出しましょう。21世紀が新しい可能性を秘めているからこそ、近代西欧の古い19世紀の弊害を思わせる現象が急激に噴出しているのです。
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