京都にLRTを

 令和7年になって、京都にLRTをという動きが高まってきました。それを報道でご覧になった方も多くおられると思います。

化石燃料時代の終焉に備えて


 千年の古都京都にLRTを導入するのは長年にわたる私の夢です。何故京都LRTなのか? それは千年の古都京都の、これから千年の未来を考えたとき、町を維持する交通手段の基盤として、LRT導入しかないためです。
 皆さんご存じのように、現代社会は過度に化石燃料に依存する社会です。しかし脱炭素が標榜されているように、化石燃料依存を脱却しなければならないのです。何故なら化石燃料は有限であり、間違いなく千年後は使われていません。間違いなくだんだん高価になります。そして環境に悪いのです。脱炭素が現実的でないと思っている人も多くおられますが、長期的に考えると脱炭素を無視することが逆に非現実的なのです。
 脱炭素にはできる限りの省エネが必要です。日本のエネルギー消費を見れば、最もエネルギー消費が多いのは工場ですが、次に多い交通を考えたとき、その重要性が多くの人にも認識されるはずです。
 20世紀までの近代西欧主導の政治・経済の流れの限界が、国際的にも国内的にも、多くの人々に明白になってきた現在、西欧(欧米)に追いつく目的で百五十年前首都となった歴史しか持たない東京からの発信ではなく、千年の古都京都からの発信は、東京一極集中に苦しむ全国へと波及する流れになり得る、そして千年の持続を誇る京都は、その持続性によって全世界の未来へと続く流れに変わる可能性がある、それが持続可能社会創設に向けての京都の役割だ、そう愚考して京都のLRTを長期にわたって主張してきました。その考えの基本をこのページで書いてみたいと思います。

自動車の世紀だった20世紀を見直す


 自動車は20世紀になって急速に広がりました。それはそれで歴史的価値はありました。多くの人が移動を享受できるようになったのです。人々の活動範囲が広がりました。生活が豊かになりました。世紀が変わった現在でもやはり自動車社会が続くと思うかも知れません。しかし自動車は20世紀の産物です。21世紀にそのまま続くと考えるのはちょっと止めてみませんか。
 歴史を振り返ってみましょう。
 19世紀の終わりに至るまで自動車はまだ赤ん坊でした。19世紀の花形交通機関は蒸気機関車でした。19世紀に書かれた小説を読めば、村に線路が敷かれその上を蒸気で走る汽車が如何に大きな驚きであったか、よくわかります。しかし鉄道が電化され電気機関車に変わったとき、蒸気機関車はすぐさま電気機関車に置き換えられました。それには明らかな理由があります。蒸気機関は恐ろしくエネルギー変換効率が悪いエンジンであるのに対して、電気で動くモーターは電気エネルギーをほぼ無駄なくエンジンのエネルギーに変える、極度にエネルギー効率が良いエンジンなのです。蒸気機関車から電気機関車ー鉄道上での大きな転換です。この延長上に電車があります。

自動車とエジソン


 一方自動車は石油があって初めて成立する乗り物でした。電気は石油と共に20世紀を牽引したエネルギーでした。しかし電気は自動車にとって難しいエネルギーでした。皆さんご存じですか? EVを発明した人の名を。多くの人は意外と思うかも知れませんが、トーマス・エジソンです。モーターと電池を使って自動車を走らせようとしました。EVは百年以上前に、エジソンによって発明されていたのです。ガソリン車に変わって活躍すると期待されがちなEVは、エジソンの発明なのです。改めて考えます。エジソンは偉大でした。
 自動車を実用化した技術者として、例えばベンツ、ダイムラー、フォードなどがいます。彼らはガソリンエンジンや大工場での大量生産など、画期的ではあるが20世紀の自動車文化を支える「部分品」を開発したに過ぎません。時流に乗っただけです。彼らが長期の未来を切り開く構想を持っていたわけではないと言えます。
 石油と電気、どちらも20世紀を支えたエネルギーです。エネルギーに関して20世紀の影響からまだ脱することが出来ない現代社会で、そして特に日本では、今でもエネルギーと言えばニュースでも解るように電気とガソリンです。そしてどちらが持続的なエネルギーとして、また普遍的なエネルギーとして大きな影響を与えるかと言えば、ガソリンではなく、電気であることは間違いありません。
 発明王エジソンは先の時代を読んでいた巨人です。それも20世紀すらも超えて。
 エネルギーの役割を考えて、彼はまず光を考えました。電灯がない時代、長く続いたろうそくにとって変わったのはガス灯でした。ろうそくは燃して明かりを得ます。その延長でガス灯がまず19世紀ヨーロッパで、そしてアメリカで、少し遅れて日本でも導入されました。20世紀をその存立基盤とする東京では、ガス灯が最初に日本で導入された場所が、今でも湯島でしたかね誇らしげに整備されて記念されています。
 エジソンはガス灯を超えて、電灯を発明しました。電気から光を得る。すごい発想です。何かを燃すのではなく、「抽象的な」エネルギーである電気から、光エネルギーを取り出すのです。そのために電気の良導体でもなく、絶縁体でもない媒体を探しました。いわば半導体を探したのです。現代の「半導体」は、別の意味で使われますが、電気の導体でもなく、その否定形の絶縁体でもない、半導体の重要性を最初に認識したのはそういう意味ではエジソンでしょう。そしてそれを日本産の竹に見いだしました。現代の意味での半導体の利用法を最初に見つけたのは、江崎玲於奈博士ですが、彼も京大時代エジソンの竹をよく知っていたでしょう。だからこそ電気の良導体ではなく、完全に電気を通さない絶縁体でもない、半導体の可能性に着目したのかも知れません。今や半導体はあらゆる現代技術の基礎となっています。ソーラーパネルやLED、パソコンやスマホなどは半導体を細胞として成り立っている「有機体」です。
 光の次は音です。生命体としての情報源として、人は光と音を使います。光の情報を保ち、輸送可能な媒体として、フランスのルミエール兄弟は、「映画」を発明しました。ただし無声の映画でした。しかし人間の通常の情報源は言葉です。会話によって人々は交流します。会話には音が必要です。そしてエジソンは蓄音機を創り出しました。
 しかし一番大切なのは、離れた人とも実際に会って肌で触れあい、生で会話が出来ることです。産業革命以来、人々の生活上の移動が当たり前になり、分かれた人とも気軽に移動できる方法が求められました。そのためには軌道上を動かなくてはならない鉄道ではなく、自動車が求められます。それをエジソンはEVに求めたのです。このようにエジソンは20世紀文化を支えるすべての部品について、革命を行おうとしました。EVはその大切な部分だったのです。
 しかしうまくいきませんでした。単純に電池が重すぎたのです。エジソンから百年遅れて、やっと人々はEVを実用化しました。それはリチウムイオン電池という重量が軽い電池が実用化されたからです。しかしそれでもなお日本ではEVは普及しているとは言いがたい状況です。やはり自動車には石油がぴったりなのです。エネルギーを大量に保持するにもかかわらず、液体だから短時間で給油できます。これが理由です。日本でEVが普及しない理由は、単純にこの理由というのは皆さんおわかりになるでしょう。

交通革命としての産業革命


 産業革命以来、移動手段は著しく改善しました。産業革命以前には、移動手段は人と馬でした。水路があれば船も使われました。しかし産業革命以来、最初に普及した移動手段は前述のように蒸気機関車でした。蒸気で走る機関車。今ではノスタルジックに残されている蒸気機関車は、それこそ産業革命を象徴する乗り物でした。
 産業革命は、革命的な工業化をもたらしました。だから「産業革命」と呼ばれます。元々の英語ではIndustrial revolutuonです。現代日本でそれを直訳しようとすれば明らかに工業革命ですね。西欧の言葉を翻訳で創り出した明治時代には、これが産業革命と訳されたのです。Industrial revolutionが産業革命なのか工業革命なのか、明治時代と現在の翻訳言葉の違い自体興味あることですが、しかしIndustrial revoluttionは「工業革命」と同時に、交通革命をもたらしました。どちらも最初は石炭をエネルギー源として用いました。工業と交通。どちらも産業革命によって、莫大なエネルギー消費が始まった分野です。脱炭素が政治的標語として主張されるなか、工場と交通の脱炭素化は、当然強く意識されないといけません。事実日本のエネルギー消費を見てみれば、消費エネルギーが大きい順に①工場②交通③第三次産業④家庭の順になっています。この順位は21世紀になって以来変化はありません。
 蒸気機関車は蒸気機関で動きます。恐ろしく効率が悪い熱機関で、石炭を燃したエネルギーで動くのですが、皆さんに認識してほしいのは、その時代蒸気自動車は作れませんでしたし、今も作れません。当時にも試した人はいたはずですが、エジソンのEVと同じように実用化されませんでした。事実太平洋戦争の時代、石油が庶民に手に入らなくなって、石炭や木炭からの蒸気で自動車を走らせようと、多くの人が試したそうです。その時代の人からの証言です。しかしそれは出来なかった。自動車(各種バスも含みます)を動かすには、石油が理想的なのです。蒸気機関は線路の上の車両を動かすことが出来るが、道路上の車両を動かすことが出来ない。それだけ道路上を走行する自動車は莫大なエネルギーを使うのです。これはとても大切なポイントですから、抑えておきましょう。
 以上の考察で産業革命以来発展した交通手段が持つ二つの要因が明らかになります。蒸気機関車は蒸気機関を使うと同時に、鉄道を使っています。一方自動車はガソリンエンジンを使う一方、通常の道路の上を走ります。このように乗り物には二種類の選択肢があります。一つは「エンジン」もう一つは「路」です。蒸気機関は「エンジン」つまりエネルギーを移動の力に変える装置、そして鉄道と道路という選択肢は、乗り物を移動させる「路」になります。「エンジン」と「路」その双方が産業革命以降、交通が従来から見て革命的に変化する要因だったということです。

何故電車が理想的な乗り物なのか?

 ちょっと解りにくくなってきたと思うかも知れません。でもこの先は簡単です。これまで解ったことは「エンジン」と「路」の組み合わせが、車両の消費エネルギーを決めることでした。
 エンジンは上記の説明で三つ出てきました。蒸気機関、ガソリンエンジン、そして電気すなわちモーターです。また路は道路と鉄路。
 産業革命の時代と今の時代は決定的に違います。それは産業革命時代は、ひたすら発展を考えれば良かったが、これからは持続を考えなければならないのです。
 持続を考えれば、少ないエネルギーで大量運送が出来る組み合わせを考えないといけません。「エンジン」で消費エネルギーが一番少なく、出力が大きいのは電動モーターです。そして「路」でエネルギーを一番少なく移動できるのは鉄路です。つまりモーターで鉄路の上を走るのが、エネルギー消費を最小にする方法です。だから電車なのです。持続可能社会に重要なのは電車なのです。
 日本の交通で消費されるエネルギーはもちろん多大なものになりますが、統計をみればエネルギー源としてはその大部分何と98%が石油製品です。残りのわずか2%が電気です。また別の分類の統計もあって、「路」で分けてみる統計もあります。それは道路、国内航路、国内空路、鉄路の分け方ですが、鉄路での消費エネルギーがやはり2%になっています。つまり電車が消費するエネルギーは様々な交通手段が消費するエネルギーのわずか2%になっているのです。つまり電気機関車を含めて電車のエネルギー消費は、交通に使われるエネルギーのわずか2%であるのです。これだけ頻繁に新幹線が走り、在来線も全国を走り、都会では通勤電車が走っているのに、このように消費が少ないのです。また忘れてはいけませんが、物流大国日本を下支えしている物流では、電気機関車が非常に大きな役割をしています。
 電気機関車が貨物列車を牽引するのを見る機会があればよく観察してみて下さい。一台の電気機関車で、どれだけ多くの貨車が引かれているかを。日本でも十分ですがアメリカやカナダでその姿を見ればびっくりしますよ。電動モーターと鉄道の組み合わせの威力を、まざまざと見ることが出来るでしょう。
 省エネの為にEVをという時代は、皮肉なことにEV普及もせず終わってしまいました。今の標語は脱炭素です。これは化石燃料消費を基本的に止めようという標語です。産業革命以来続いた強力な手法を基本的になくそうというものです。これって相当難しく日本では軽々しく扱われていますが、実行しなければ人類の未来は暗いものになるでしょう。
 脱炭素が標語とされる時代に「EVに換えれば良いだろう」はもはや通用しません。町の根幹に走る電車ーLRTーを交通手段の中心におき、そして全世代が「歩き」を楽しめる町、自転車が便利な町、EVはそれを補完する町という捉えかたが、それぞれの町の事情に応じてまちづくりの基本として求められているのです。この形に町が変貌すれば、その町は末永く栄える町に変貌するでしょう。残念ながら今の日本の町で持続する町はありません。自動車に頼り切っているからです。また首都圏のように、過度に集中巨大化しているからです。
 日本で一番早く路面電車が走ったのは京都でした。それは琵琶湖疏水の電力を使ってのことでした。地域自然エネルギーで、路面電車を走らせることが出来る良い例となっています。
 私が以前から主張してきた、LRT導入推進にはこのような意味があります。これから目指さなければならない社会は、持続可能社会であるはずです。持続可能社会とは再生可能エネルギーに支えられる社会であり、そこでは基本的に化石燃料を使わないで良い社会のことです。メガソーラーなど超巨大な発電装置が、現代社会を支えるというのは、大いなる幻想であり、逆に環境にとって弊害であることは、すでに広く知られています。
 交通は社会の動脈であり、産業革命以来化石燃料がそれをになってきました。そして交通は工場に次いで大きくエネルギーを消費する分野となっています。持続社会の町を創生するために、町の交通の柱をLRTに変えて行くという作業は、持続可能社会に近づくために是非とも必要なのです。

異常気象を証明する令和7年京都の暑い夏

令和7年は京都にそして全国に、異常な暑さの夏をもたらしました。京都新聞によれば、特に京都では猛暑日も熱帯夜も60日超を数え、これは日本で最も多い数となっているそうです。京都が日本で一番暑い夏を持つと示されたようなものです。
 これは明らかに異常気象と言えます。それも近年の人間の活動が生み出した異常な暑さなのだと。
 日本では特に京都では世界に誇る日記文化・随筆文化が紫式部・清少納言の時代から続き、各時代の代表的文化人が記録を残しています。もし令和7年のような夏が過去にあったとしたら、何か次のような文章が残っているでしょう。「寝苦しい夜が三ヶ月も続いた」「暑さでおかしくなる人々、死に至る人々が続出した」と。時の天皇は神社仏閣に祈祷を依頼し、それを記録する文書も残っていたはずです。
 科学的データに負けぬ正確な記述を過去の日本は持っているのです。明治以前の日本で、令和7年のような暑さを持った夏は千年の間皆無でした。令和7年の夏は、明らかに人為的な活動によって生み出されました。

異常気象の原因には人工排熱もある

 人為的な異常気象と言えば、日本では温室効果ガスが原因と短絡的に考えます。そして多くの人が何とかせねば、だけど自分だけ頑張ってもナと思いがちであるようです。その結果、ほとんど手を付けられない状況が長く続いています。
 私は長い間異常気象が温室効果ガスだけで説明出来るのだろうかと考えてきました。そして日本における様々な現象には人工排熱も関与していることが多いのではないかと。
 人工排熱はヒートアイランドの原因の一つとして、多くの環境関係の書物に説明があります。ヒートアイランドは、20世紀後半以来広く認められている現象で、都市部の気温が周辺部に比べて高くなっている現象です。
 都市部ではそれこそ活発に人為的活動が行われ、人々が多量のエネルギーを消費します。このHPで頻繁に述べているように、消費したエネルギーは最後に全部熱エネルギーに変わります。排出される熱エネルギーの大きさはエネルギー保存則に従って、消費したエネルギーと同じとなります。つまり人工排熱の大きさは、消費エネルギーの大きさなのです。
 自動車が多大なエネルギーを消費することは記述の通りです。そして電車が如何に消費エネルギーが小さくて済むかも。都会に電車(LRT)を導入することは、消費エネルギーを格段に縮小するだけではなく、人工排熱も格段に縮小するのです。
 人工排熱の影響は大きく地形に依存します。都市部での人工排熱は、拡散されていきます。日本の地形はご存じのように独特です。他の先進諸国は中国も含めて、広い大陸の中での平野部で、広大な畑や森の中に都市がぽつんとあるような構造になっています。そうすると都市から排出された人工排熱は、広い平野に広がり、ほとんど他には影響を与えないと見えるでしょう。これが恐らく世界の環境学者が人工排熱を重要視しない原因じゃないかと思っています。平均の地球温暖化には影響を与えないだろうと考えられるのも、一応の理があります。
 しかし日本の都市構造はかなり違っています。東京23区の人工排熱は、拡散しても23区外部の東京都市圏にも影響を与えます。例えば横浜、23区以外の東京都、埼玉、千葉。もちろん23区以外の都市からも人工排熱は出ます。こうして東京都市圏は莫大な人工排熱を放出しているでしょう。熱エネルギーは拡散されるだけで消滅はしませんから、関東平野に広く流れ出ていきます。関東地方全体が暑くなります。
 こう考えると人工排熱はその都市部だけに影響を与えるもので、全体では無視できるという発想は疑ってみる必要があります。広がった平地では熱は周囲に拡散されやすいでしょうが、山はそれを越えての熱の拡散を防ぐ要因となるでしょう。
 京都の問題に戻りましょう。京都に地形は三方を山に囲まれています。山は熱エネルギーの流れを遮断する役割を果たすでしょう。そうであるなら異常な京都の夏を創り出す大きな要因が、人工排熱にあることが理解できます。要は京都盆地に熱がこもりやすいわけです。
 これが京都の極度に暑い夏の大きな要因になっただろうことは、単純に想定できます。逆に温室効果ガスだけが異常気象の現象であると考えると、京都の異常な夏を全く理解できません。
 もちろん人工排熱だけが、令和7年の暑い夏を説明出来るものではありません。加速する温室効果ガスが背景にはあるでしょう。だとすれば、今後ますます暑い夏が頻発することもあり得るでしょう。あるいは令和7年の台風や線状降水帯の多発する発生は、日本近海の水温上昇を指摘する声も多くありました。海水温が上がれば気温も上がるでしょう。こういう原因が複雑に絡んでいるでしょう。単に温室効果ガスの増大の危険性を教条的に唱えるのではなく、異常気象の深い研究が望まれると同時に、各地方で効果的にやりやすい政策は、その町の人工排熱を効果的に減少させることでしょう。これは地域の人々の環境への興味を引き出します。

京都にLRTを

 脱炭素は世界的な課題です。産業革命以来続けてきた化石燃料消費を止めるというのですから、西欧近代という時代の終焉を意味するものでもあります。
 しかし二十一世紀は、西欧近代が造った世界構造を乗り越えようとする時代でもあります。20世紀末に感じられた西欧近代の完全な勝利というフランシス・フクヤマが見たような夢は、21世紀になって次々と砕かれているようでもあります。
 日本は西欧と西欧が進出した新世界(アメリカ、オーストラリアなど)以外で、最も早く西欧近代を取り入れた国でした。もちろん明治維新でそれを行ったのです。そして化石燃料を積極的に取り入れ、遅れた産業革命に追従した国でもあります。
 一方産業を強化することを主眼にしながらも、エネルギーとして石炭を排し水力を使おうと考えて興した事業が琵琶湖疏水でした。北垣国道が書いた琵琶湖疎水起工趣意書を読めば、石炭を排し水力を使うと明記されています。そして石炭を排する理由として挙げられたのが、石炭は高価であると並んで、今の言葉で言うと環境に悪いと書いてあるのです。そして地域の水力源として桂川、鴨川、宇治川などを調べるのですが、最後に琵琶湖の水を引いてくると思い至るのです。地域再生可能エネルギー産業革命宣言とも捉えられる文章が琵琶湖疏水起工趣意書に書いてあります。恐らくそのような意識を持った大事業は、世界でも初めてだったのではないでしょうか? 京都だから発想出来たのだと、世界に誇って良いのじゃないかと思います。
 京都は持続性を重んじる町です。古代に中国からの影響を大きく取り入れながらも「和を以て貴し」と考え、中国では皇帝という名は残っても朝廷や首都は次々と変わるのに対し、日本では千年を超えて天皇と首都は京都にありました。持続性をもともと持った都市なのです。だから北垣のような発想が出来たのではないかと思われます。
 桓武天皇はみやこにまず路を造りました。東西に一条から十条、南北に河原町通り、室町通り、烏丸通りなど。それはみやこを千年繁栄させる礎となりました。
 二十世紀後期まで鉄道はみやこを広くカバーしていました。それがわずか40年ほど前、すべて撤去されました。しかし便利でエネルギーを使わない鉄道は末永く残るものです。千年後の3025年にも残っているに違いありません。重力からは地球がある限り人類は解放されません。空を飛ぶのは明らかに地面に乗っている場合よりエネルギー消費が大きいでしょう。超伝導で浮揚するリニアも、鉄道よりエネルギー消費が大きいことは、鉄道綜研の実証試験で明らかになっています。「路」としては鉄道がこれからも一番エネルギーを消費しない方法であることは、物理学者として考えて、まず間違いないことだと思われます。
 だとすれば今が計画的にLRTを導入する一番良い時期ではないかと考えます。日本だけではなく世界から観光のお客様が訪問してくれています。京都が伝統を保持しそれを保ちかつ高めていけば、ますますその傾向は増すでしょう。京都市では宿泊税を特に高額宿泊に対して大幅に値上げしました。お客様により良く京都を楽しんでもらい、一方ですべての市民が京都を誇りに思ってお客様を歓迎する。そのためにはお客様から京都の持続可能性について貢献をして頂く、それは当然あって良いものだと愚考いたします。
 あるくまち京都という標語は長く京都で使われてきました。自動車を使わずとも、また自動車に邪魔をされることも少なく、LRTを使って落ち着いて快適な町を市民全員で創り出す、それを全世界の人に支えてもらう、そして琵琶湖疏水に代表される、西欧近代とはひと味違った思考法を発信し、またお客様達に「純粋経験」してもうらうことによって、京都は持続可能社会創設に大きな影響を世界に与えた、という言葉を未来の世界史に残すことが出来る、そのようなポテンシャルが京都にはあり、それを現実化するのが、京都LRTだと考えています。
 京都からそれを全国のそして全世界の人々に、発信して行きたいと思います。

自動車と電車のエネルギー消費を、資源エネルギー庁のデータから比較した論説も併せてお読み下さい。

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